では本題に入ります:前回のマチスはついでだったので😄
パリ市近代美術館で開催中のガブリエレ・ミュンター Gabriele Münter (回顧展 "Peindre sans détours ":「ストレートに描く」と訳しておこう)、生涯(1877~1962) はウィキもあるので参考にして貰えばいいが、その歴史的ハイライトは1902〜14年のカンディンスキーの連れ合いだった時代だろう。彼女は10歳上の彼に画学校の先生として知り合い、二人でオランダ、イタリア、チュニジア、フランスと各地を転々とした後、1909年に南独バイエルン地方のアルプスに近い田舎町ムルナウに家を買いそこで二人で暮らしたが、そこは「青騎士」グループなどの前衛作家の集うところとなった。当然彼女もその表現主義的グループに属したおかげで歴史に名を残すことになるが、私がこの回顧展で発見したのは青騎士の前からの並々ならぬ才能だ。
まずは写真。 ミュンターは両親の死後妹と親戚を頼って1898年から1900年アメリカを旅行をする(ドイツ人の両親はアメリカに移民して財をなし故国に戻った)のだが、妹が姉に手持ち写真機をプレゼント🎂、それで家族写真のみならず、ニューヨークからテキサスまでアメリカの風景や人々の様子など400枚に及ぶ写真を撮るが、撮影アングルなど見事でその時代の秀逸なルポータージュとも言え、技術習得も大変な箱型カメラで急に撮り出した二十歳そこそこのブルジョワ娘の写真とは到底思えない。例えば銃を彼女に向けた少年は構図としてはWilliam Kleinの有名な写真を思い出してしまう。その時代娘二人だけで旅行するというのもなかなかのことだったと思われるが。1902年にカンディンスキーと旅に出たチュニジアでも写真を撮り続けるが、この頃にはスケッチ帳を持ってデッサンをしていて、その後の20年代の人物スケッチも含めいわゆる線描スタイルでミニマルで明確、かつ表現力もあり、これが前回書いた「マチス先生大丈夫かな〜」との疑問を抱いてしまった故だった(笑)
それから木版もうまくて(右の写真)、これも対象の簡略化というか本質だけを抽出するグラフィックな才能が光っている。これは特にドイツに戻る前のパリ時代に発展させた。その頃のパリはリトのポスターに代表されるグラフィックアートの都でもあった。
そういう天賦の際があり恋人兼先生のカンディンスキーも「おおっ」と思ったのだろう、色々教えるがなんでも自然に身につける彼女のことを「生まれながらの独学者」と称した。
才能を発揮しつつも彼女のパリでの絵画はまだ印象派どまりだったが、南ドイツに戻り以上に述べた要素がフランスの野獣派の影響をもろに受けた「ドイツ表現主義絵画」として結実する。でもその時代の作品の中で私が特に面白かったのはミュンターが白黒の子供の鉛筆デッサンをコピーしてそれに色をつけて油絵にしたシリーズ。子供の絵はその頃急速に発展する産業に対しての自然な創造性を代表としてすでにドイツでは関心をもたれていたらしいという事も面白い。
「青騎士」団の絵は伝承物語的テーマは多いが、カンディンスキーと彼女はムルナウ時代には素朴な伝統工芸にも興味を持ち、前述の子供の絵と同様それらをコレクションし、それらがモチーフが絵の中にも現れる。
1914年に第一次世界大戦が勃発、カンディンスキーはロシアに帰り、先妻と離婚したかと思うと(それでいままでミュンターと結婚できなかったはずが、、、)、32歳年下の女性と結婚してしまった! これでガブリエラはぶち切れ何度も鬱に陥り、芸術界からもマージナルな位置にも追いやられ、我が道を行くことになる。
カンディンスキーは1921年にバウハウスの教師としてドイツに戻ったが再度会うことはなく、かつ彼はムルナウの家にある作品を返せと言ってきてそれを断固拒否。ナチ政権下では彼女自身は「退廃芸術家」の烙印は押されなかったもののナチの意向にそぐうものでもなかったのでムルナウで閑居、地下に自分、カンディンスキー他の青騎士作家の作品を隠し続け、後にそれらはミュンヘン市に寄贈される(>レンバッハハウス美術館に収蔵)。
1920年以降作品的は表現主義的な具象の傾向を根底に保ちつつ、現代美術の潮流とは関係なく新しい具象を探求、以前よりずっと愛惜、心理性が伺われるようになる。
結局のところ私には彼女は何事もうまくこなすグラフィックなセンスの天賦の才ゆえに器用貧乏だったような気がする。 青騎士をほったらかして抽象絵画に向かうカンディンスキーや、見る人が見ないと😅「下手」としか思えないようなマチスやピカソは、資質のみならず自分のイデオロギーを築いて美術史のメインストリートを歩むことになるが、カンディンスキーががいみじくも指摘したように「生来の独学者」であり最後までこつこつと絵画の小径を一人一途に歩み続けた。
最近の私にはこういう人の方が親近感持てるかな〜
いえいえ1927年に美術史家哲学者の新しい伴侶を得て多分幸せに暮らしたのでご心配なく(一緒に財団も創設)
パリ市近代美術館にて8月24日まで 美術館サイト(ただしあまり情報なし)
回顧展だがそれほど大きくはないし難しくないのでので普通の人はマチスと合わせて簡単にみられるでしょう。来場者数から見てあまり人気なさそうだし(それがこのブログで取り上げる理由😅)
ここで終わりで写真とデッサンはネットに任せようと思ったらほとんどなかったのであえて:反射があってひどい写真ですが一応ご参考までに
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右の女性はOtto Dixの肖像画にある怖そうなジャーナリストだ!(1928) |
最後に、これが彼女が持ち歩いたKodak Bull's Eyeというカメラ
少しダブりますがインスタにもっと写真載せました (一番最後の絵は初期のパリ滞在時の風景画です)