(sujet principal : l'exposition de Rei NAITO à la Maison de la Culture du Japon)
前回の投稿(Where are we going?)を書いたすぐ後、引き合いに出した女性アーティストの内藤礼がパリのに日本文化会館で個展をしていると教えられた(全然アンテナ張ってないし公式ルートには縁がないので☺)。
さっそく会館のサイトを開いてみると、小さな稚拙な人形が原爆の熱風で変形したガラスコップで佇んでいる写真が出て来た。こんなことで原爆の悲劇と対峙できるのかなとかなり疑問、見に行くことないかとも思ったが、瀬戸内海の豊島の、床から湧き出た水がするするっと流れたり水滴となってコロコロ転がったり、水たまりに衝突したり、その振動で水たまりから新たな流れや水滴が生じでたりするのを眺めるだけのための美術館(大空間)という作品に多分生涯に見た全美術作品のなかで少なくとも5本の指に入るほど感動した私である、「あんな作品作ってしまうと後どないするの?」と思いつつ、16区に行く用事があったのでついでに行ったのだが、、、期待していなかったこともあってか(笑)、これがなかなか良かった。
彼女の作品は「聖域」作り。靴を脱いで灰色のフェルトが敷かれた会場に入ると、薄暗〜い。真ん中の白いテーブルを囲むように天井から見えない糸で小さな金属の球が幾つもぶら下がっている。こういうぶら下がり物が微動だにしないのは、時間が止まったような静けさを感じさせる。テーブルの上は3部構成で中央に例の「原爆モノ」があり、両側には小さな人形が点々と置かれている。3部構成のそれぞれの真ん中には一輪差しがあって、中央には縁日のように小さな電球が数珠になって吊られ、全体としては和らいだ公園の一景かのよう。日本文化会館のサイトにある写真を見た方がはやいと言えばはやいのですが、なんか全体の感じが写真では全然つかめない。。。(それが以上しつこく作品を叙述した理由)
これを「なかなか良い」と思ったのは文化会館の展示ホールを上手く「平和への願い」を表現した聖域化に成功していると思うから。でもそういう「虚構」が何になるかといえばおそらく何にもならない、ただ「信じることの感動」*以外には、、、
というのが私の見た感想だが、メガネを忘れて薄暗い空間では読めなかった会場のパンフレットを今となって取り出してみると、ただの金属球と思われしは鈴でかすかな音がするらしい(私は悲しいかな耳鳴りがあるので聞こえない)。それを吊るしていたのは透明糸ではなく白糸?(老眼の所為かな〜)。私の行ったのはパリの空がもう暗くなった6時過ぎだったが、日中は光に満たされるそうで、、、これだと全然違う印象を持つかもしれない。彼女はそういう「うつろい」を表現する作家なのだ。(だからまた行ってみますか)
コンセプトの面では、私の観察とは少し異なり「死者への悼み」がメイン。「死者も私のように現世に呼ばれ、我々はそれ以降に生まれた人と関係を結んでいるが、ある日我々も地上を去る」という言葉が書かれていたが、これはまさに私の前投稿の一言レジュメの「万物流転」。
「他者の死の忘却に対抗する芸術が、他者と生きる幸福を分かち合う芸術と一つに混ざりあう」という美しい言葉もある。私は彼女の声高に叫ばない曖昧な表現を芸術的には評価するのだが「本当にこれでヒロシマで亡くなった人たちの死の忘却に対抗できているだろうか?」とやはり思ってしまう。こういう歴史的悲劇の前では「芸術」は弱い。彼女の作品に被爆者の証言がカップリングされていたら補完しあって素晴らしい物になるのではないかと思うのだが、会場では私の空想する「証言者ビデオ」のかわり(笑)に豊島の美術館に関するビデオ**が流れていた。。。
*「信じることの感動」と思った展覧会タイトル(émotions de croire)は公式には(つまりおそらく作家の言葉では)「信の感情」だそうです。私の直訳より動詞のアクティブさがなくなり曖昧ですよね。
パリ日本文化会館にて3月18日まで
**豊島の美術館、あれはビデオで見てもね〜。解説に「豊島の美術館は建築が自然と芸術の境界を廃絶し、一つの同一の物とした場所です」という作家の言葉が書かれていたが、本当にその通りです。
この写真にならない展覧会の写真は「影響力膨大」なブロガーとして良い写真を送ってもらえるようメールアドレスを残しておきましたが、送られてくるかどうか? 来たらもう少し充実させますので乞うご期待
内藤礼の作品を初めて見たのは今調べてみると何と1993年に遡る。ロンポワン劇場の2階だったか(?)に白いテントが張られ、その中の様々な白いオブジェが並べられている空間に一人づつ(?だったと思う)誘われる「地上の一カ所」(une place sur la Terre)という瞑想空間的な作品だったが、彼女自身がいて案内するという以外、潔癖な「か弱さ」が際立って私にはあまり、、、その後画廊で見てもピンとこなくて、事実豊島へ行くまでは眼中になかったのですけど(笑)
これで前述日本女性作家三傑の二人を書いたことになるので残るは宮永さんか、、、。
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