もし経済的社会的政治的エリートが彼らの現在の自由と彼らの責任の分担を両立させないとしたら、その場合は望む望まないにかかわらず彼らはその自由を失うだろう」*
以上はマクロンの大統領になる直前5/5のインタビューでの発言。結局私が前回「グローバル社会のお金持ちは『どこでも一番資産の増やせるところに移動すればよい、つまり自分たちは医療も教育も何でも自力で解決できるから公共サービスなどどうなってもいい』と思っている」と書いたが、ほぼ同じようなことを経済エリートで大銀行に勤めていたマクロン君が断言してくれている訳で、私の憶測も全くの妄想ではなかった。。。
最後の2行は「資本主義が崩壊する」ということなのか、私の政治ではそうは行かないと言うことなのか? 今のところ政策としては制約を作るどころか緩める方向だけ。お金持ちの社会責任に目覚めさせるのは私も同意するところだが、、、。
ところで一昨日の6日に、60年代の仏版ロックンロールのアイドル(その頃はシルヴィ・ヴァルタンと結婚していた)で、最近までコンサートでスタジアムなどを満員にできる人気歌手のジョニー・アリディ(ウィキ)が亡くなって、驚くほど民衆の心が揺るがされている(少なくともそのように報道されている)。そのため明日は霊柩車がシャンゼリゼからコンコルド広場を経てマドレーヌ寺院に到り、マクロンも同教会前で演説すると言う国家的葬儀顔負けのイベントが「大衆的哀悼」(hommage populaire)なる名で行われる。
こんな「大事件」だったのだが、私のフェースブックの掲示板には一切出て来なかった。唯一はその前日亡くなった仏アカデミー会員作家で楽しい語り口でこれも「人気」のあったのオルメソン Jean d’Ormesson が「ジョニー・アリディと同じ日には死にたくない。私のことを誰も話さないだろうから」と言ったいう本当か嘘がわからない逸話のみ(予言通りでかなり影が薄くなったが今日国家的哀悼式が行われた)。
おそらく私が共有していないネット上では政府に国民の「一般的意思」としてくみ上げられるほど「ジョニーへの哀悼」が殺到していたのだろう。異邦人でマージナルな存在とはいえ、ちょっとこれで良いのだろうかとネットが提供してくれる「閉鎖空間」に心配せざるえなくなる。ちゃんとオルメソンも先月亡くなった大女優ダニエル・ダリュー(ウィキ)も幾つものfbの投稿に登場したのに、、、。
つまりそれほどに、私はジョニー・アリディとは関わりがないのだが、話を元に戻すと、彼も「不定住民」で、スイス、それからカリフォルニアと現住所を替え**、税金逃れ(?)かどうかは知らないが、フランスに所得税を払わない人なのだ。それはフランス国民皆が知っている筈なのにこの人気だから、私の持論「スポーツとしての釣り」ならぬ「スポーツとしての資本主義のススメ」が変えたいとする「税金を払うのは阿呆だ」という意識がいかに一般に浸透しているかがよくわかる。「あくまでも合法的」なパラダイスペーパーで「私だって金持ちだったらそうする」なんてコメントする倫理なき貧乏人もいると書いたが、そんな貧乏人が圧倒的多数かと一層悲観するのみ。
その85年のコンサート、ネットにありました |
偶然と言えば、先週ラファエル某という現代アーティストに出会ったのだが、彼はマドレーヌ寺院のクリスマス用のキリスト生誕記念の飾り付け(クレッシュCrèche と呼ばれる群像模型)を準備していて、今週末に開幕されるという話だったのだが、それが明日の葬儀の会場となる。これはラファエル君にとっての千載一遇のチャンスになるだろうか???
ジョニー・アリディは自分で曲も少しは書いたが、基本は歌唱力抜群の絶唱型の歌手。若い人気ミュージシャンに曲を書かせたのも寿命の長い芸歴の秘訣で、それがつまりは今回の国民的衝撃に繋がったらしい。私は曲名を聞いて1曲しか思い出せる歌はなかったのだけれど。
* 引用原文 « Ce qui s’est passé dans le capitalisme international, c’est que les nomades — j’en ai fait partie, j’ai connu cette vie — considèrent qu’ils n’ont plus de responsabilité ; ils ont une responsabilité vis-à-vis de leurs actionnaires, mais elle est purement financière, accumulative (sic) justement, ils n’ont plus une responsabilité au sens plein du terme, c’est-à-dire vis-à-vis de leurs voisins, de la société dans laquelle ils vivent — responsabilité qui est environnementale, qui est en termes de justice… Si les élites économiques, sociales, politiques, ne réconcilient pas leur liberté actuelle avec leur part de responsabilité, alors elles perdront cette liberté, qu’elles le veuillent ou non. »
** あくまでも彼は仏国内の超有名人でカリフォルニアでは知られていないから気楽だったには違いないが。国内での葬儀の後は本人の希望によりカリブ海の仏l領サンバルテルミー島に埋葬されるそうです
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