2024年7月26日金曜日

パリの空気と日本の空気

in bocca al lupo!
土曜の朝のフライトでフランスへ戻った。実は日曜と勘違いしていたので冷や汗:最近そんなことが多すぎて母親がボケ始めたときのことを思い出させる。かつ京都のアパートの購入*もその母親が私の残してくれた家のおかげだからますます申し訳ないとマザコンをまた背負い、困った〜! というか「母親は出来の悪い子どもを愛するもの」だから仕方がないともう諦め。イタリア語で「幸運を!」というのを「狼の口の中へ」(in bocca al lupo) というそうで、食べられるのかと思いきや、親狼が小狼の安全確保に口の中にかくまうというということらしい ****。日本もイタリアもマンマミーア! だから情けながらず、まさに「幸運」と思うしかないですよね(本当にそうだし)。

幸運といえば羽田からのフライトはオリンピックのバトミントンチーム(オリンピック選手でもエコノミークラス!)と同乗で、多分そのおかげで(?)結構座席に余裕があって、私は3席使えた!こんなこと十数年ぶりか。ラッキーでした😄

 
そしてパリに戻ってきていつもすぐに感じることは、自由な空気な漂っていること。
逆に日本で漂っているものは規律かなー?
この全く反対の概念に思える自由と規律 ** だが、「自由半分規律半分で中庸がいいよ」なんてのが普通安易な意見だろうが、「規律ある自由」というのは容易に考えられても「自由ある規律」というのは随分肩苦しそうな気がする。 つまり前者では自由に対して自らの心で自分を律しうるのに対して、後者では社会から押しつけられた規律で少し自由を味合わさせてもらう様な、ほぼ全体主義下の選挙の様な気がしてしまう。以上自由も規律も自らが選びうるものとして考えたことで、規律が規則となると肩苦しいから息苦しいになる。昔日本人の知り合いから「だって規則は守るためにあるんでしょ」と言われて呆れ果てたことがあったが、これが日本の教育の成果なのだろう。(太秦いいけどやっぱり日本には帰れないかなー)***
 
その自由が漂うはずのパリの空気がセーヌ川沿いで滞っている。
単純にオリンピック(開会式?)のせいで通らせてもらえないのだ。せっかくパリの自転車ヴェリブに乗ってもすぐに行き止まり😅  4ヶ月日本にいた私にはびっくりだがパリの人はもう疎開していて随分人が少なくて、いつもなら歩行者がいっぱいのサンジェルマン近くの路上カフェ席の連なる通りもヴェリブですいすい。セーヌを渡る(反対側に行く)ために乗った混んでることの多いパリを南北に縦断する4番線メトロもがら空きで日本ボケの私にはビックリの連続。移動の自由が制限されちょっとした戒厳令下(マクロンは戦争体制大好きだから)だなと思うが、メトロにオリンピック反対のステッカーを貼った環境派運動員は警察に勾留されて750€の罰金とか。オリンピックは挙国一致
 
フランスの金メダルはなんといってもペタンクでしょう(笑)
 
 
注および訂正(?)
 
 
** 自由と規律なんていう読書感想文を書かせられる様な岩波新書の本があったが、何が書いてあったか全く覚えていない。ここでうまく引用できる記憶力があったなら私も文化人になれたかもしれないが、、、

*** 法律は守るためにあるのではなく、法律は我々を守るためにある

**** これは私のイタリア人との文通で教わったことで、〜へというalだからおかしいなとその後wikiを見てみたら全然解釈違っていました、、、文章の流れからもう変更できませんので 悪しからず。

 

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