2013年4月19日金曜日

(停滞するパリの?)光と動きの展覧会


今年のパリは1960年代にはやった、眼の錯覚で動いたり立体であったりして見えるオプティック・アート(オプ・アート Op Art、代表的選手はヴァザルリ Victor Vasarely、ライリー Bridget Riley かな)と、動く光や鏡も利用するキネティック・アート(kinetic art)の年でもあるようで、パレ・ド・トキヨでフリオ・レ・パルク Julio Le Parcの回顧展(サイトは写真も豊富)、小さいながらポンピドーではソトJesús-Rafael Soto に美術館の一角を与え、先週から鳴り物入りで(結構宣伝していた)グラン・パレでディナモ DYNAMOという大展覧会が先週始まった。ホッパー(旧ブログ1/13)とダリの大人気(超満員)に懲りていたし、少し留守をすることもあり、火曜にラジオで特集していたディナモに今日早速行ってみた。何せフランスの美術館ではこの種のメカものはすぐに壊れる(壊される)し、満員だと自分で触ったり動かしたりできる作品になかなかアクセスできませんからねー。
パルク

意外にグラン・パレは行列なし、ちょっと肩すかしを食らったような気分だが、混雑よりはよっぽどいい。人は少ないけど普通の美術展に比べて子供、学生の比率がずっと高いことがすぐにわかる。この種のものは見て楽しむ科学館か遊園地気分。結局面白いものは「どうやっているのだろうなー」とどうしても「種明かし」に関心が行ってしまう(作品全体を見るより、中を覗き込んだり、箱の厚さをチェックしたり、、、)。これはやはり美術鑑賞というより科学館だ。だからアートとしては私は「タネ」は誰にでもすぐわかるのに「こんな風に見えるの~」と感心させられる、例えば傾斜の右左に違う色を塗った絵のアガムとか沢山棒がたっているだけのソトーの作品や、これまた沢山吊るした小さな四角い透明プラスチックに光を当てているあるだけのパルクの作品(写真)のように、シンプルなものの方が質が高いように思う(ただし単純に見えても徹底したアルゴリズムと正確さが必要だから簡単という意味ではない)。

カプーア "Isramic Mirror"  2008年の作品
これらの作品は「感覚」のアートで当然政治的社会的メッセージとか心情吐露はなく、見て楽しむだけで解釈しなくていい気楽さがある。だからすーっと近代建築の装飾の一部に溶け込む。つまり現代アートが好きな「異物提出」方式ではない。そして何となく科学や技術の明るい未来を提示しいるようなところがある(今の我々のような不安をつゆ感じさせない)。実は前日に日本文化会館で日本の特に60年代の未来都市計画にスポットをあてた「都市の挑戦」という展覧会を見たのだが、そこにあった現在のブラジリアの衛星写真、周辺に所々赤茶の地区がある。これは建設労働者が住み着いてしまったスラム街ということで、ブラジリアの首都建築がディナモ展のようなポジティビズムに対し現代美術は、(川俣正の掘建て小屋のように)スラム的ブリコラージュ性、雑多・非整然性が特徴であり、その興味と言えると思う。だからこれらの展覧会は「失われたユートピア」の再発掘のような意味あいがありそうだ。我々にはかつてなかったテクノロジーがある。多くのインスタレーションはかつての作品の再現だが、それには現代技術が使われたかもしれないし、今の作家ならもっと違ったこともできよう。現代作家の作品もいくつかあり、そこで私の眼を引いたのは写真のアニッシュ・カプーアの「イスラムミラー」。八角形と四角の薄いガラスのパラボラで光の効果と音響の効果がある。おそらくこれは多くのカプーアの作品のように今日の技術でしかできない超ハイテクなのだろうと思う。
パルク・パーク、人形にボールを投げる

最近の美術館では常とはいえ、この展覧会では特にみんな夢中で沢山写真、それに加え動くものが多いから動画も撮っている(私も例に漏れず)。そして「写真だとわからないなー」なんて言っているのが聞こえるが、錯覚は人間の感覚の誤り、カメラはそれがない。だから「いくら写真を見ても現物見ないとだめですよー」というメッセージには体験性へ誘う現代性がある。まあそれを膨らませたパルクのパーク(駄洒落!)は遊園地でしかなかったけれど、意外にそこにはオプ・アートにはない政治メッセージが盛り込まれていた(写真)

そもそもソトはヴェネズエラ、パルクはアルゼンチンで作家の多くに南米系が多い。だが南米で発生したのではなく、隣人のアルゼンチン人のCおばさんによるとパリの美術学校でグループが誕生したようだ。南米でなくてもヴァザレリはハンガリー、アダミはイスラエル、政治的に難しい国が多いのは逆に政治メッセージ性のあるアートへの反発があったのかもしれない。パルクは1922生、だからもう91歳。この種のアートは数十年脚光を浴びなかったが、今回のパレ・ド・トキヨではスペースに合わせて作品を大きくしなおしたりして見られたりしたことは本当に幸せなことだろう。概してディナモはこの世代へのオマージュとも言える。よかったですね:)

i-phoneで写真撮ってます
何度も「60年代」と繰り返しましたが、デイナモは副題「芸術の中の光と動きの1世紀 1913-2013」となっており、バウハウスからカプーアまで。沢山あって眼が疲れます。もう壊れているものがあったからあまり遅く行くと何も動いてないかもね〜
7月22日まで

私の趣味ではこじんまりとして動きがあっても静的なソトがよかったが、これは5月20日まで

知られぬ(?私は知らなかった)パルクの大回顧展は5月13日まで









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