まず第一はフランソワ・モルレ François Morelllet。パルクたちと一緒にグループ(GRAV)を作ったのでこの展覧会でも脚光を浴びている一人だが、フランスではいわば「国家のお抱えアーティスト」の一人で、蛍光灯を使った退屈なインスタレーションで有名(「退屈」は私の意見にすぎません)。私はこの写真の角度を決めて線を引いた絵の方がよほどすごいと思う(見つめながら視線を動かすと泡がはじけるように、丸い多角形がぱたぱた移動して見える)。
フランソワ・モルレ 0° - 25° - 45° - 67.5° |
モルレの絵もそうだが、悪口を言うものの、自分は思っているよりずーっとコンセプチユアルらしくて、こんな輪のライトを床にテラスだけとか、扇風機の風でカセット磁気テープがふらふらというのが好きで、、、(展覧会の中では少数派、両方とも名前の知らない作家でした)
ZIVILINAS KEMPINAS 1969 |
ADALBERTO MECCARER 1975?(鉛筆で修正されていた) |
逆に右の鏡を使った無限反射パターンは遊園地でもよくありますね。写真は撮るけど感心しない。草間弥生にもこの手のありましたが、これは彼女ではありません(誰かメモするの忘れた)。でも草間弥生もあって、それは凸面鏡がいくつも掛けてある廊下でしたが、全然面白くなかった(気の毒)。やっぱりこの展覧会は計算された美が多いから、前の2作のようによっぽど素朴か高度でないと目立ちません。現代アートの作家の中には、設計図を描くだけでモノは工場で加工という方式を使う人もいるが、60年代はおそらく手作り(Cおばさんの話ではお互いの作品を協力しあって作っていたとか)。誰もがマイコンで画像加工出来るようになった現代人の近過去の技術への驚きが、ダリ、ハイパー(ムエックは現代作家だがハイパーリアリズムは過去の概念)、この展覧会の背景になっていると思う。確かに過去に対してテクノロジーだけは確実に発展したから、今でも新たな希望を感じさせるのかもしれない。ともかく皆さん写真を撮り、「すごーい」とか声を上げている。「科学館以上であるのかな?」と私は思うが(最近は科学館もアートしているが、アートはただも見せ方の問題なのか?)、フェルト、ラード、銅板がころがっていて作家の個人史(作家の勝手な象徴言語)を聴かないと訳がわからない作品よりいいよね。
0 件のコメント:
コメントを投稿