来週から始まる個展の郊外の街ガニー(Gagny) 市から作品を「渋滞を避けて朝一で取りに行くから」といわれて、睡眠不足。いくら早くても8時半だろうとは思っていたが、もっと早く着いて起こされたりすると面目ない。だから8時に目覚ましをして、、、安眠したいのだが、私は朝起きる用事があると思うだけで夜中に何度も起きてしまう小心者なのです(学校、会社生活のトラウマが今でも続く?)。
結局トラックが着いたのは10時、何のことはない、朝一で出発しただけ。しかしトラックで取りに来てくれるのは願ったり叶ったりだから、「わざわざありがとう」と言ったら「招待作家だから当たり前です」って、、、嬉しいですね〜。やっと終わった有名銀行への作品搬入搬出とはえらい違いです!
その後トラックに乗せてもらってガニーまで行くはずだったのだが、運転手さんによれば市職員以外を乗せる訳にはいかないとのことで、、、この辺「公の機関」はお固いですから。スケジュールでは明日が「飾り付け」の日になっていて、展覧会担当女史によると作品の保険が明日からだから「公の機関」的には明日からにして欲しい様子。まあ私も半日仕事しても仕方ないかと簡単にあきらめ、休暇に雑務と思いつつ、結局何もしなかった?かなー。
ところで先週の土曜日は、展覧会会場の建物で彫塑を習う子供たちにインスタレーション用のチョウチョウを作ってもらった。6歳から15歳までの三クラス。 年長者では私より素早く作る生徒がいて驚いた一方、低学年で自分で全然出来ない子がいた。「あーそうか、こうするのね」と小声で言いつつも実は全く分かってなくて、結局私や周囲が手を出してしまう。「将来大変そう」とその子が心配になると同時に私は自分の子供時代をハタと思いだした。
実は私、小学校の低学年の頃は「何もしなくても机を並べた相席の女の子がすべてしてくれていた」(という記憶がありありとある)。お陰で私は「折り紙」など、普通の日本人ができることができない。隣の子が親切だったのだとずーっと思っていたのだが、実は私はかなりできが悪く、見るに見かねて助けてもらっていたようだ。
というのも母は、兄にも姪にも、当時担当教師に呼び出され「特殊学校」行きを示唆されたが、怒って「ほっといて下さい」と言って帰って来たという逸話を話している。当の本人(私)は実はそれをかなり最近まで知らなかった。考えてみるとそういう節はいろいろあるのだ。
幸いにしてその後何かに目覚めて(?)人並み、学歴だけは普通以上(笑)になり、その後の普通でない人生も個人的には「ほっといて」もらって本当によかった。母の「炯眼」には自分の子だからという自負があったのかもしれないが、そんな次第で亡くなった母には頭が上がらない。
昔私が何故「箸が普通に持てないか」尋ねたときの答えも「あんたは覚えんかった」の一言。そう簡単にあきらめるかなぁと不思議だったが、その頃の私が箸を持てないぐらいは大した問題ではなかったのかもしれない。
蛇腹折りや結び目が作れないぐらい大丈夫。あの子も今後どうなるか期待しましょう。
ガニーの子供も参加した、年末年始の宣伝ビラ、包装紙を使ったチョウチョウ
実はこの「チョウチョウ」自体も母が老人デイサービスで作っていたのを「パクリ」して今回応用。見て感嘆するガニーの市民に「これが折り紙ねー」と言われ、嘗ての「落ちこぼれ小学生」答えに窮しました。。。。
0 件のコメント:
コメントを投稿