先日図書館で "Toute la lumière que nous ne pouvons voir" という本がテープルに置いてあった。作家はアメリカ人のAnthony Doerr。この著者は知っている。昔住んでいた12区の、店員たちが自分の推薦図書には手書きの書評を付ける、パリでも珍しい熱心な本屋で、私と気の合う(と思われる)店員の手書きを見つけ、その推薦文に惹かれて "Le Nom des coquillages" (貝の名前)という短編集を買った。内容は殆ど覚えてないが「良かった」(笑)。かつ私はご承知の通り「見えない」ものが好きだから(題名を直訳すると「私たちが見ることのできないすべての光」)、分厚く600頁もあって読み終えそうもなかったけれど借りた。
毎晩ベッドの中で夜更かしして読んでいたのだが、ブルターニュ地方の入り口のサンマロの空襲で地下室に一人で避難する盲人のフランス人少女、そして建物が爆撃されて瓦礫に閉じ込められたドイツ人の若い兵士の話から始まり、これが第0章で1944年8月7日。それから第一章で34年にもどり少年少女の生い立ちが語られ、その次第二章は0章の続きで翌日44年8月8日、次は40年7月と時を行きつ帰りつ二人の主人公とその周りの登場人物の関わりが絡まってくる。後半で時の前後へ揺れがドイツのサンマロ占領下に集中してくるともう大円団間近と思うから読み終えないではいられなくなる。ちょうど図書館から「もうすぐ期限ですよ」とのメールまで来てプレッシャーもかかり、久しぶりに本にのめり込むようにして返却期限を待たずして今朝読み終えた。ああ疲れた。
裏表紙によるとアメリカではベストセラーになっているらしい(仏訳は2015年出版で、我が図書館に入ったのは昨年4月)ので調べてみたら、2015年のピューリッツァー賞に選ばれて、オバマも愛読とか。そんなことは私の評価とは関係ないのだが、話の組み立ても先に書いたように凝っていて、表現もとても良い(仏訳だけど)。盲人の少女とラジオ少年という主人公の二人の軌跡は特異と言えば特異だが、歴史の中に揺さぶられる「小さな個人たち」のドラマが詩的に描かれ感動します。
当然ながら邦訳ありました!
「すべての見えない光」 アンソニー・ドーア
というわけで今更ながら私が?という紹介ですが、アンソニー・ドーア氏は寡作で2003年の前記 Le Nom des coquillages(原題 The Shell Collector)以来4冊しかなくて、新し好きの日本人にはすでに忘れられているかもと思いつつ、、、。この本(原題 All the Light We Cannot See)は10年がかりで書いたそうです。
だいたいですね、私はフランス語だと日本語の3、4倍は時間がかかるし、それ以上に時々意味の分からない文章があったりして悲しくなるのですが、それにもかかわらず私を毎晩没頭させたのですから、素晴らしい小説だと思います。よくこういう話を考えたものだと、、、。でも最後の数十頁の戦後の話はなくてもよかったような気がするなぁー、少年の死でばさっと終えた方が、、、いつもの批判(?)となりましたが皆さんどう思われるでしょうね?
しかし日本の本の装丁って素敵ですね。フランスの本はこんなです:読まないやつはあっち行けという感じ(笑)。だから12区の本屋のクリップ留め「個人書評」は一層貴重で、、、確かに13区に来てからは本への関心が減って、最近は人がくれた本ぐらいしか読まなくなっていた(それも読みきれていないのだけど、、、)。また12区に行ってみようか。でもピザ屋や朝市のブレアのように、私のご贔屓の常で店じまいしていないといいのいですが、心配。
そうそう、パリに住む私には、アトリエからさほど遠くない、多少縁のある植物園と歴史博物館も舞台の一つであったのものめり込みの一因かも。作家のアンソニーさんはどう見ても科学少年的なところがあるのだけど彼のサイトの履歴にはそういうことは書いてありませんね〜。
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