2015年6月17日水曜日

落書きおじさん、ズーイ

「お恵みを」で下に賽銭用の帽子が
ズーイ・ミルシュタイン Zwy Milshtein、1934年ルーマニア生まれのユダヤ人(生まれたモルダヴァ地方はその後ソビエト領となりイスラエルに移住するからこの言い方がぴったりする。国籍は今はフランスだろう)。父はソビエトに捕われシベリア送り、残された母と戦火を避け黒海沿岸諸国を彷徨う時代の悲惨な子供時代が彼の絵の背景にある(というかそれしかないのかもしれない)。

 80歳の今でも元気旺盛に巨大な絵を描き、その絵は人で充満している。特に顔、顔、顔の連続。それらはラフに筆使いでサッサと描かれ、キャンバスには宴会の後のワインや食べ物が汚したテーブルクロスの様に絵の具がぶちまけられている(その種の物が貼ってあったりもする)。もうぐちゃぐちゃ描きまくる。これは僕が初めて会った時から全く変わっていない。「作品の初めは瞬間的な印象だけでそれ以外頭の中には何もない」と語っているが、彼はきっと描き出したらもう止まらない。つまり彼は落書きおじ(い)さん。本人も昔のニューヨークの落書きが好きだったようで、よくうつろな人々に混じってミッキーマウスのようなものも登場する。良く出てくる「目玉焼き」は赤貧時代の象徴らしい。落書きおじさんと言ってもキース・ハーリングなどの落書き兄さんとは違ってまったく溌剌とはしていないが、、、。
写真の男性がミルシュタイン氏

そのズーイに知り合ったのはもう30年ほど前。
私がパリで今のような生活をするようになったのは、パリ市のアトリエでリト(石版画)を習い始めたのがきっかけだが(参考:旧ブログ、写真画像を転写したいと先生のジャックリーヌに言ったところ、オペラ座近くのミルシュタインのアトリエを紹介された。彼は自分のアトリエの半分を「市の版画教室」とし、先生をしていた。だが実際は、簡単な説明をされたぐらいで彼に何か教えてもらった記憶はない。アシスタントの女性もいたが、いないことも多く、かつ生徒は私ぐらいしかいなかったような気がする(まあここでも。授業時間内に限るが、やりたい放題させてもらった)。アトリエは「教室」の雰囲気はなく、人のプライベートな空間に入り込んでいるようで、、、。作品を見てもキレイにアトリエを整頓するタイプでないことはあきらかだろうが、そこには彼の絵やデッサンが一杯散らかっていて、彼自ら作品数の多さに驚いていたことがあった。僕はその「先生」の絵を結構気に入っていたのだが「色が濁って売れなさそう」と思っていた。しかし豈図らんや、その頃から彼はすでにまあまあ有名な作家で、ユダヤ人脈もあるからか結構「売れっ子」だった。今思うと小さいキャンバスの一枚や二枚簡単に失敬できたなぁ〜。

お客さんが来たりするとワインを一緒に飲ませてくれて、ボソボソとおかしな話をきかせてくれた。「大きな版画をコンクールに送るのに梱包できなくて折って送ったら賞をもらった。審査員は折り目があるのがすごいと思ったに違いない」とかいうのは、確かに版画は図版以外は一つの汚点も許さない超潔癖性な世界だからそんな人はいない。「大胆というか無茶苦茶だなー」と思ったので今でも覚えている。

展示作品の一つ。右上はブルゴーニュの家かも
そんな「教室」だったからじきに店じまい、というか制作旺盛な彼にはアトリエが狭くなったので引っ越してしまった。その後も時々偶然出会って、彼は私の記憶などないだろうが、話をするとアトリエに連れ行ってくれたり。10年ぐらい前かな、レパブリック広場近くの巨大なアトリエには大きなインクジェットプリンターがあって、それを使った連作を制作していた。ただただ現れてくるイメージを描きまくっているようだが、その一方でテクノロジーも好きなのだ。でもコンピューターを使ったからといってきれいなイメージが作られるかと思うと、それは全くなく、いつもの人、人、人の混沌とした世界が出来上がる。
今はブルゴーニュの田舎にアトリエがあるそうだ。

Claire Corcia 画廊(パリ三区)のページには絵の写真も充実していますのでご参考に。7月17日まで。(画廊は地下に大きなスペースがあります)

Note : Exposition de Zwy Milshtein à la Galerie Claire Corcia (Paris 3e), jusqu'au 17 juillet.  (La galerie pocède un grand espace au sous-sol)

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