2015年7月19日日曜日

戦争放棄を放棄してはいけない理由

国会の強行採決で多くの方が正論を書いてられるので、私がブログで意見を述べることもないのだが、最近何を考えたかもすぐ忘れてしまうので、自分の覚書きとしていつもどおりの「日仏メガネ」の私の「斜眼」を簡単にノートしておく。

先ず第一に日本の社会はヒエラルキーを尊重し個人の意見を控えるので「軍国主義」に染まりやすい。 そして「負けとわかっている戦い」に身を捧げることへの美意識がある。だから最初から馬鹿げた状況に陥る可能性を完全に放棄しておいた方が良い。

但しこれは私の日本社会に関する知識は80年初までだから、そもそもの仮定が成立しなくなっているかもしれない。

さて、ではおそらく日本人とほぼ正反対の資質を持つフランスが今何をしているかというと、サルコジ時代にはリビア、オランドになってからはマリに「一国のみ」でも軍事介入。それで平和が訪れたかというと、ご存知の様にリビアは過激派の温床となり、逆にその脅威のお陰で戦闘機やミサイル、装甲車などがアラブ国を中心にに売れに売れており * 、それが素晴らしいことの様にTVニュースに流れる。おいおい実戦って軍事産業の宣伝かい?と私のような「ハト派」(これも死語か?)はうんざりされるばかりだが、将来の夢がないアラブ系若者の「反逆心」は大いに刺激されることだろう。
こうして金持ち国には笑顔で商売、しかし小国には渋く、実際リビアと国境をなしテロのターゲットとなっているチュニジアには「民主主義を守る国に援助を惜しまない」ようなことを口では言いながら、要請された国境警備用のヘリコプターを譲らなかった(買わないとダメですって)。 

1月のテロ以降、私の予測を反して人気回復中のオランド大統領
日本も武器輸出ができるようになったし派兵も可能になろうとしている。つまりこういう「一流国?」になりたいようだ。しかしだ、その功罪は別として、こうした正義感と財布を両立させて動じない「厚顔さ」と「狡猾さ」(よく言えば外交能力)は、またまた国民の資質になるが、これも潔癖性の日本人には馴染まないと私は思う(正義感が強いと言うより、表裏を粉飾できないという意味)。まあアメリカ追従一辺倒ならば使われるだけが関の山だから初めから手を出さない方が良い。

そして最後に体力。日本の方には「仏人は働かない」というイメージが強いが、実は頑張り出すとサンドイッチ一つで朝から夜まで働き続け、基礎体力(骨格と脂肪に蓄えられた非常用エネルギー)の相違を見せつけられる。戦争(外交も含め)がテクノロジーの進歩はあれ、結局は構成員の体力が大きな要素にならざるえないとすると、日本人は「弱い」。

以上「日本人の資質」を卑下しているように思われるかもしれないが、全くそんなことはない。「戦争に向いてない」というのは素晴らしいことで、それを生かした政策を実行した方が良い。折角「第9条」という世界が驚くようなプレゼントをもらい、「唯一の原爆被爆国」であることも加わり今まで70年間それなりに「平和国家」たるイメージを世界にアピールし続けて来たのだから、そのすべてを破棄することは全く愚かなことだとしか思えない。

徹底的に戦争を避けることは「フツウ」のことだと思う。それしかできないことは素晴らしいことなのに、それを「普通の国」でないとするのは、紛争があるとしゃしゃりでてくる「各国が覇権論理しか持ち合わせていない」という植民地時代と変わらぬ前提のジオポリティクスの解説の故ではないか? それが「現実」と言われれば私は反論する知識を持ち合わせないが、ネオリベの論理とジオポリティクスはその説得力のうさんくささ(利害対立を常に紛争に結びつけるきなくささ、暴力性?)が良く似ている。


* 特にダソー社 (Dassult)の戦闘機ラファル(Rafale)は、15年来商業的に失敗作とされていたのが、今年になって急変:最新機をエジプトが24機、カタールも24機購入契約、インドは36機契約(加えて126機をも交渉中だったがこれは価格が折り合わず破綻した模様)。



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