いつでも「新しくなければ」との強迫観念に駆られた「現代アート」にとっては急速に進むテクノロジーは一つの突破口、キネティックアート(2013/4/19参考)はそのハシリだった。
私の学生時代はブラウン管に磁石を近づけて画像を歪めてたりするナムジュン・パイクなどが脚光を浴びていたが、「理科系」の私は「こんなのねー」と馬鹿にしていた。
しかし最近は世界的なデータベースの変化を視覚化したり、一方では空間の温度や湿度をコントロールして、美術館内に一瞬雲を作るアーティストとか、ちょっと簡単には真似できないハイテク系が増えて来た。
Hicham Berradaのビデオ |
私は前回書いたように「中学理科クラブ」だから「科学館」大好き、だからこういう「現象観察」は好きです。科学館の展示の目的は「現象説明」のためだが、それ極力せず、「科学とアート、知識と直感、現実とバーチュアルを問題とし、、、」なんて難しいことで煙に巻くと「現代アート」になる。私は結果がそれなりに美しいからそれでいいと思うのだが。
しかし科学とアートのこの蜜月関係には何か釈然としないものが残る。それはおそらく「科学とアートは分かりあっているのだろうか?」という疑問。
学生の頃「素粒子論と禅は関係がある」などと言われると、どちらも分からないから「素晴らしい」と崇め上げていたものだが、今の現代美術ファンはハイテクアートを前にしてそういうところが大いにあると思う。分からないものは素晴らしく思える。そしてひょっとしたら(というよりおそらく)当事者、つまり科学者とアーティストはお互いにわからなくてツルんでいるのではないか?
かつアーティストにはハイテクを戦略として使える、科学者にはアートがハイクラスな普及活動になるというようなお互い打算もあって愛し合っているのではと勘ぐっているのです。
Agapantheのお茶に砂糖の結晶作品 |
それと関係なさそうな移民が浜辺についたビデオは、坂田少年が昔見たテレビの「時間よ止まれ」みたいで面白かったが、一緒に行った若い友達は「3Dのソフトで作れるよ」と言っていた。前記ナムジュン・パイクではないが、ハイテクアートの驚きはかくなるように鑑賞者の科学技術知識に大いに左右されてしまう。だから科学音痴の美術評論家に受ける。
以上、科学もアートも低レベルで終わった私の偏見でした
*注:渦の出来るのは地球の自転によるコリオリの力ゆえと「科学館」でも習ったと思うが、今調べてみたらそれは誤りとのこと!(参考) 古い理科の知識はあてにならない。。。
実はゆっくり見ていたら、イベントがあって早く閉められ、大ホールの下に見ていない作品がある。まあいいかと思ったら係員に「あれは必見」と言われた。二度目は1 ユーロで入れてもらえるそうだが、でもまた行くの?「ちょっと遠いのだけれど」とはガニーに来て頂いた人の手前言えないですね☺
Rony Trockerのビデオを見る私 |
「不可視の物質性、感覚の考古学」4月30日まで
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