この車というものがキーであるという大胆な仮説を私は立てている。
フランス語で人を侮辱する言葉を覚えたいなら、車に乗せてもらうのが一番。いつもは穏やかだと思われる人でも一旦ハンドルを握って通りに出るや、前や横の車に対し悪口雑言。時にはこの豹変、感動的でもあるが、ボルテージが上がって来ると自分の運転も荒くなり、助手席に座っているのも怖くなる。他人のマナー、あるいは渋滞、自動車の運転は圧倒的多数の人間をナーバスにする要因が一杯だ。こんなことは誰も言わないが、私はこの車の魔力(心理操作)と「黄色いベスト」運動は無関係ではないのではと憶測しているのだ。 勿論私が知るのはパリ市内のことで、田舎では車の量が比較にならないからのんびりかもしれないが、ちょっとした渋滞が不測の事態になるし、レーダーの速度監視器とかもあるし、田舎の人もそれなりに神経を高ぶらせる要素がある。
そもそも車社会自体が社会的に逆説的なものであるというのは、イリイチ Ivan Illich(ウィキ)が1970年代にすでに指摘している *。
つまり、車があると遠くまで速く行けるので時間が節約できる。そして車が一般化するに連れて道路網が整備され国土開発が車中心になされる。すべてが車での移動性をもと再編成され、郊外に大きなスーパーができ、町村の小店舗がなくなり、結局はかつては徒歩で日常食品の買い物ができ、それに加えて遠くまで行って買い物が出来ると言う可能性を車が生んだのだが、一旦町に店がなくなってしまうと、車で日常品も遠くまで買い物で行くしかなくなった。つまり移動時間は短くなる一方、車に乗っている時間が増えた。結局時間は節約されたのだろうか?というのが車の生むパラドックス。
かくして制限時速、ガソリン代は、車に首根っこをつかまれた田舎の人には譲れない問題となったが、それには「ナーバス増進剤」としての車が導火線になったのではというのが私の仮説です(笑)
私としては、マクロンはフレキシブル社会の推進者だからモビリティという言葉が大好きだが「移動できる」ということと「移動するしかない」というのは違うのだということを認識して欲しい。 一方「黄色いベスト」には車の移動性が選択肢の一つとなるように、車社会の見直しに運動を持って行って欲しい。というのが私の希望。(フレキシブルであることとフレキシブルであるしかないという違いも同様のこと)
便利な道具が必要不可欠なものになり、それに首をしめられるようになったというのはなんかの童話みたいだが、車依存と同じくインターネット依存もますます大きくなって **、もうWi-Fiないと何も出来ない。でも低所得者には接続契約援助があるとはきいたことないけど。うんこれ「全国大討論会」で提言しようかしら。
「エネルギーと公正」(1979) |
イリイチは現代の問題をよく言い当てていると思うのに、最近名前を聞くことがなくなった。そうと思っていたらラジオで彼の上記の「車社会の逆説」が急に流れて来て嬉しくなった。「黄色いベスト」のお陰(笑)。 ** その放送は特に現代のネット社会での「効率化と時間」に関するものでした。
https://www.franceculture.fr/emissions/la-grande-table-2eme-partie/gagner-en-vitesse-est-ce-perdre-du-temps
追記:
「黄色いベスト」のお陰といえば、前回書いたように、マクロンが約束した「最低賃金」の値上げが「手当」になったのだが、このお陰で「手当」が給与所得者のみでなく自由業者にも及ぶことが判明。びっくりして社会給付事務所のサイトでそれを確認し、そのまま申請開始。最近の収入欄にうまく数字が入れられなくて色々やっていたら突然サイト自体がダウン!(私の年寄りMacの所為でなかった) 今週金曜までにせねばならないので膨大な数の申請が押し寄せているそうなのだ。結局私はインターネットが空いているだろうと思われる夜中に再トライアル。収入欄の疑問は解けなかったがまたポシャるとはじめからやり直しなので、急いでとばして最後のページまで行った。どうなるかなー? 私は貰えれば大助かりだが、TVインタビューでは「100ユーロなんてないも同然」と言う「黄色いベスト」が何人もいて、これも私が運動にあまり好感がわかない理由ですねー。
「マクロンと黄色いベスト」に関する以前の投稿
12月5日 パリ燃えて諸行無常の響きあり
12月10日 マクロンショーを待ちながら
1月20日 歴史はかくして作られる?
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