2023年9月12日火曜日

私とサラ・ベルナールの関係 !?

注:8月カップ・ダーユに行く(投稿直前に見て大体はTGV内で書いたのだけれど掲載遅れに遅れました
 
私とベル・エポックの大女優サラ・ベルナール Sarah Bernhardt (1844-1923)ウィキとの関係は??? まあないです(笑)。特に芝居が好きなわけでもないので(いつまで経っても言葉の壁も高いし、、、)。
 
でもフランスに住んでいるとなんだかんだとこの嘗ての大女優に接触することがある。
 
パリのど真ん中シャトレ広場にある今の「テアトル・ド・ラ・ヴィル」は昔はその名も「サラ・ベルナール劇場」と命名されていて、彼女は女優のみならず経営者でもあった。
その横にあるカフェの名は「サラ・ベルナール」。誰でも知っているからよく待ち合わせで指定されることが多い → 接点1? 
 
四角い建物がサラさんの別荘
接点2は21年9月に行ったベル・イルまたはベリル(Belle-Ile)。島の北の端の岩礁の荒々しく海岸ぎわに建つかつての砦を買い取り(1894年)別荘とした。趣味いいです、荒々しくてベリル:美しき島」の中でも特に美しいところなので。と納得はするが、今でもTGV、ローカル線、バス、フェリーと乗り継ぎで大変なのに、昔は汽車とボート、彼女はそこにパリから人を招いてパーティーをしたり、、、客人も含めそのヴァイタリティーには恐れ入る。(我々現代人が「楽」に慣れすぎたのか? TGVの4時間半遅れなんて文句言うのもお恥ずかしい)

そのサラ・ベルナールさん、色々なメディアを使っての自己宣伝にも才能があり「自らを歴史初の世界的スターにする手腕を持っていた」という面を含めて大々的に展覧会がプチパレで開催された(もう終わってます)。 
 
例えば当時まだ無名だったミュシャをポスター画家に起用した:日本では大人気のミュシャ、私はさっぱり興味がないのだが、今回他のイラストレーターに比べると才能あるかと見直した(笑)。そしてナダールにはポートレート写真(ブロマイド?)を撮らせていて、こちらはミュシャの装飾絵とは違い表情が興味深い。フランスのみならず世界中で公演、米国公演の時にはエジソンに録音させている。展覧会場にもあったが、今とは異なる朗唱法とガリガリした音質を聞くと「何故これがヴィクトル・ユーゴが呼んだ「黄金の声」だったのかと落胆してしまう代物」(これは私の勝手な酷評ではなく、展覧会の解説にも日本語ウィキにもそう書いてある😅)
 
 
 
これはジャンヌ・ダルク役

そして接点3は「海藻」!?! 浜辺に残った海藻見るの楽しいですよね〜。 私海藻人間 * は拾ってきてそのまま使うぐらいだが、 サラ・ベルナールは型をとってブロンズ彫刻にしていて! 斬新で進取な人柄がこれでもわかる。彼女は彫刻が趣味で他にもブロンズ、大理石で技術的に達者なクラシックな作品も作っていて、よく時間あるもんですよね〜(ここでは紹介しませんが展覧会には沢山あった)
 
これはサラさんの海藻ブロンズ彫刻
 
こちらはエイゾウの海藻を使った素朴なオブジェ(笑)
 
当時の劇はかなり派手だったようで、これはクレオパトラの衣装。絢爛豪華さとエリザベス・テーラーの美しさだけが売りの(?)の凡庸な超大作ハリウッド映画(60年代)がありましたが、衣装はその豪華さを凌いでいただろう!
 

演技の方はどうだったかと言うと同時代の人皆さん絶賛です。例えば1885年11月にフロイドがフィアンセのマルタに送った手紙。彼が何を観たのか忘れましたが
 
「芝居そのものについては良いことは何も言えない... しかし、このサラの演技はどうだ!彼女の生き生きとした美しい声の最初の数語で、私は彼女を何年も前から知っていたかのように感じた。私は即座に彼女の言葉の端々まで信じ、彼女が何を言おうとも驚かなかっただろう(...)彼女がどのような態度を取ることができるか、そしてすべての手足や関節がいかに彼女と呼応し合うか、それは信じられないほどだ。不思議な存在だ。普段の生活でもステージ上の彼女以外である必要が全くないことは容易に想像できる」
 
フロイドが演劇通だったかどうか知りませんが、まあすごくインパクトのパーソナリティであったわけです。
 

参考:

8月24日で終わっていますが、Petit Palaisのヴィデオ、写真もある展覧会ページはコチラ。4月半ばから開催してたのでしたけど 

* 海藻人間の私のパーフォーマンスはこちら。日本の皆様には気味悪がられていますが、今度の個展(Galerie Raulin-Pompidou 37 rue Chanzy 75011 Paris  9月14日〜10月4日,  2pm-7pm) でも時々スクリーンします(笑)

 


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