イタリア国境を越え、サンレミの東側のブサーナBussanaへ連れていってもらう。
半島や小さな湾で入り込むフランス側に比べ、イタリア側はほぼまっすぐ海岸通に沿って遊歩道、浜辺が続き、代り映えしないのだ。だから風光明媚の面ではフランス側の勝つが、「金がちらつく観光メッカ」になった仏側に比べ、国境を越えると街の雰囲気ががらりと変わり、すっかり庶民的、家族的となりリラックスする。多分これはイタリア的家族関係、子と親あるいは祖父母が一緒に遊んでいる光景も関係してるように思われる。 ちょっと不思議なのは伊側ではビーチがほぼ全てプライベートになることだが、値段は庶民的にとどまる。
海を百八十度見晴らせる、これまた庶民的レストランで近くに住むMP夫妻の友人たちとランチ。それからパティシエ、また海を見晴らすカフェとゆったりと時間を過ごすともう夕方となった。
お友達たちと別れてそれから我々は丘の上の「古いブサーナ」Bussana Vecchia へ。
ブサーナ・ヴェッキアは1887年の大地震で壊滅的被害を受け、丘の下に新しい村 Bussana Nuova が建設されることとなり1894年以降放棄された。それが1960年代、ユートピア指向のアーティストやヒッピーが住みつくようになり、68年には警察の介入にたいしてバリケードを作って断固抗戦の構えを見せ、警察側があきらめたとのこと。この旧村は「国有地」とされ、今や(居住許可があるのかないのか知らないが)ギャラリー、レストランがある、ちょっとした観光地となっている。この歴史が語るように廃墟と住民、なかなか不思議な雰囲気を持っている。(但しちらりと見る限り、入りたくなるような絵の画廊はなかったが)
イタリアならではのからっと焼き上がったピザと小魚の揚げ物を食べてまたまた幸福な気分。
今回は携帯もあるしi-padもあるしでカメラを持って行かなかったら、結局写真はあまり撮らなかった。掲載写真はインターネットからの転載。そのかわり頭に刻んだ印象を実際の掲載時の今(9月)、プサーナの浜辺の海水で描いています(私は古代現在を問わず、廃墟好きで 作品例
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