2014年9月22日月曜日

今日、世界が死んだ

こういうの、廃墟好みの私は気が引かれるが...
(Brève note francais en plus bas)
これはバカンスに出る前、つまりもう展覧会は終わってしまったが、パレ・ド・トウキョーの杉本博司ウィキの「今日、世界が死んだ」と題する大規模なインスタレーションの展覧会を見た。幾つもの人類が滅亡した後にその滅亡のシナリオとそれに関わるオブジェ、自分の写真作品で構成されている日本語参考記事。もうほぼ総て忘れてしまったが、いっぱい文章を読まされた。滅亡のシナリオは現在の環境問題や近過去の歴史等が反映され、それほど突飛なものはなかったと思う(だから今印象に残っていない)。古い調度品や骨董品、彼の写真とお話の組み合わせでそれなりに楽しめたが、この種のインスタレーションは現代アートのよくあるパターンの一つとなってしまったと思う。これで思い出したのはもっと昔(5月)、書く気もしなかったイリア・カバコフ夫妻 Ilya & Emilia Kabakov日本語解説例 のグラン・パレの「理想都市」Cité Utopique。これは確か、チベットに理想郷があって、そこでは云々云々と説明がされ(だからこれも沢山読まされた)、それに関するカバコフのデッサンやオブジェ、大構造物が並んでいた。これらのお話は杉本にせよカバコフにせよ、現在へのアイロニーを込めた寓話であるが、私がこの種のパターンに冷淡なのは、例えば小説でも漫画でも映画でも作家は微に入り細に入り空想を羽ばたかせるのに対し、「現代アート」のそれは乏しすぎると思う。現代アートの信奉者には(以下に述べるように)その曖昧性が良いのかもしれないが、本当はただ創造性に劣っているのではというのが私の見解。

カバコフはソ連邦時代の告発でデビューし、今や押しも押されぬインスタレーションアートの長老、そして杉本は去年は文楽と写真を組み合わせた劇場企画をパリで上演(私は見ていない)、それに今年のヴェネチアの建築ビエンナーレと今や屈指の日本人アーティスト、その二人の大作家に何を言わんかと言われればそれまでだが、手法も造形作品もありきたりすぎる。70年代に架空のインデアンをでっちあげてプリミティブからセザンヌ流の作品を作った亡きガジロウスキ Gérard Gasiorowski wiki(1930-86、変な作家だが9/1に書いたマーグ財団の創設者に支援された)の発想とか、キリスト教少女団と悪魔の戦争のお話を一生かけて延々と文と絵で描写したアウトサイダーアートのヘンリー・ダーガーHenry Darger(1992-1973)ウィキとかの方が優れて芸術的(現代アートの視点ではその使命とする現実転覆力がある)と思われるが。
時にはシナリオも読み難い場所に
確かにこの二人では比較にならないかもしれない。というのも杉本もカバコフも「現代文明」を相手にし、作品を哲学的オーラで包んでいるから。しかし現代社会の歪みは今や世界中で噴出、悲観論から楽観論まで精神分裂的に毎日メディアで取りざたされているではないか。そこでは芸術家が危機の先取りをするどころか、現実の方がアーティスとの想像力を凌駕しており、ただの寓話めいた批判は「無力」としか思えない:これが二つの大展覧会への私の不満。

ところで「今日、世界が死んだ」というのはカミュの「今日、ママンが死んだ」からきているとパレ・ド・トーキョーの解説に書いてあるが、滅亡シナリオの冒頭が常に「今日、世界が死んだ。あるいは昨日かも。私は知らない」ではじまる以外、『異邦人』とどういう関係があるのか私にはさっぱりわからない。それに似たことを若い日本人に言ったら「現代アートは解らないところがいいんじゃないですか!でも世界にはキューレーターとかで本当の価値が解る人がいて、、、」とお説教された。こうした自分の思考を放棄した妄信するファンで支えられた現代アート界は、見事少数美術エリートの専制「ユートピア」であろう。カバコフの展覧会、皆さん神妙そうに見ていたが、それが狙いだったとか??? 

両横は杉本のマルセル・デュシャンを意識した作品。左の説明には塩商人=marchand du selの綴りの読み順を替えるとmarcel duchampになると書かれていた。それが何なんだ?こんなことが面白いの???と思うが、 実はデュシャン自身が使った偽名で、、、いやはや(ため息)
(注:フツウのフランス語では塩商人=marchand de selのはずです)

個人的結論:手法としての架空の世界・人物は現代アートの常套手段(私の坊さんのアシュラだってそうです)、全然画期的なことではありません。結局どういうコンテクストで何を語るかです。

同展の写真は、非常に網羅的なブログespace-holbeinをご参考に。彼の昔のブログサイトは宣伝が入るようになったのでアドレス変更、私のブログサイトに引っ越してきました! 

カバコフの方はブログは書かないだろうと思って消しちゃったのか、写真なしです(上のブログにも記述なし)。

Note française pour éviter le malentendu : 
En bref, je n’ai pas apprécié ni “Aujourd’hui, le monde est mort” de Sugimoto, ni Monumenta de Kabakov. Selon moi, le monde actuel est tellement critiquable et absurde que les installations avec les petites anecdotes n’ont plus de force de critique. 

Ilya Kabakov

0 件のコメント:

コメントを投稿