2025年8月24日日曜日

暑い夏の些細な近況

わかり難いかもしれませんが、歩道をご覧あれ
地球温暖化の影響顕著、フランス南西部では毎日40度を超える酷暑だったが、数日前急に涼しくなった日には前日との気温差20度もあったそうだ!南西部ほど暑くはなかったがパリも急にずいぶん涼しくなり、近くの大通りの並木のイチョウ(新しいビル街なのでまだまだ小さい)が急に黄色くなって落葉しているので驚いた。色づくというより暑さ枯れ? 
 
これも暑さ故だろう、自然空調の我がアトリエでも蚊にかまれる。これは今までそうはなかった。アトリエ内はまだしも、周りの人は馬鹿ンスだから私の責務?特に暑かった日々に中庭の木々に水をやったら近所にまだ水田がある愛知の実家かと思われるぐらい蚊に刺された。
 
加えてこれは暑さと関係ないと思うのだが小鼠が再登場、赤ん坊で世間知らずなのか私の足元を平気で駆けていく。ちゃんと仕掛けた毒の餌も食べているようなのにピンピンしているのは何匹もいるということなのか??? 自分で考案したネズミ取りばかりか市販のネズミ取りも餌を取られるばかりで子供ながら賢い??? ともかく原因はバカンスで住民がいないので大した食べ物も他地にないからムッシュサカタ宅にでもと潜入したのであろう。来週他の住人たちが戻ってきたら去っていくのではないかと期待するばかり。
 
こういう色合いのを買ってください
良いニュースはロレーヌ地方の気候がどうだったかは知らないがミラベルが美味しい。3回買って3回ともだから当たり年だ!(実は去年は完全ハズレだった)。
こういうのしか買ってはならないのだけど、赤みを帯びてぷりぷりして美味しそうなのが並んでいる。これだけでネズミも忘れハッピー😇
 
注:私とミラベルの仲を知らない方はいろいろ書いてますが次のかつての投稿からお読みください 

 
フランスも体温以上の気温が何週間も続くようになるとエアコンを買う家庭が増えるだろう。この誰が考えても自分は良いが周囲の気温を高めるばかりの機械が一般化してしまうと「こんな風になってしまうのですよ〜」と日本国は自身の愚かさ加減を世界に伝えて警鐘を鳴らしてほしい。
 
しかしそんな日本にパン屋のお兄さんをはじめ知っている人が何人も旅行に行き、皆さんまた行きたいと喜んでいる。 北海道や石垣島とか私の行きたいようなところまで行ってしまうのだからこれならなかなか魅力ありそう。
私は最近の日本旅行ブームは一重に円安の所為と思っていたのだが、隅田川、鴨川沿いがセーヌ川畔より美しいと言われるとどうしてそう見えるのかな〜と首を傾げてしまう。マンガ、グルメなど全てを含め、このブームの全体像、社会学の研究対象になりそうだ。
 

2025年8月16日土曜日

16世紀の城の現代美術、オワロン城

気温が37度になると人間の吸う息の方が吐く息より低くなるのだろうか。つまり人間は外気に対しクーラーになるのだろうか??? フランスでもそんな暑さになることがあるようになりました(ただし我が地下アトリエは快適ですが)残暑お見舞い  
 
ここからが本題:

「初めてビートルズのサージェント・ペパーズを聞いたときの感動は一生忘れられない」と言う友達がいたが、彼は私よりいくつか年齢が上だし英語ネーティブだからまさにエポックメーキングなイベントに出会った感動というのがずーっとあるのだろう。

美術展に関しての私のそうした感動は1989年の「大地の魔術師たち(Magiciens de la terre)」にある。これもその時代を経験をしないと、つまりその以前と以降の空気を肌で感じていないとカタログを見たからと言ってその感動は伝わらない。とはいえ各人個人史の違いがあるからをその時サージェント・ペパーズ聞いて感動しなかった人も「大地の魔術師たち」をみて感動しなかった人も大勢がいるのは当然だが。

まあともかく 「大地の魔術師たち」はその後の美術展の一つの節目、融解点であり、その後はかつての美術展のフレームが溶けて色々な方向に流れ出したように私には思われる。

その融解零度の感触を守った感のある場所がフランスの何処とも説明しがたい片田舎に忽然と立つルネサンスのお城にあった! それもそのはず、そのコレクションの基礎は「大地の魔術師たち」のキューレーターだったジャン=ユベール・マルタン Jean=Hubert Martin によるものだからだ。 

 



「軍隊の間」(パノラマ写真)
 
16世紀の天井画 

そのChateau D'Oiron(オワロン城)、その現代美術はおフランスの国立コレクション、つまり国立美術館なのだが、周りはほぼ真っ平らな畑が広がり近辺にこれといった街も観光地もない田舎で、知る人ぞ知る(?:実は私も最近まで知らなかった)。車でしか行けないのだが8月で駐車場の車の数が指折り数えられる程度だったからよっぽど興味を持つ人以外は来ない。(このままだと好き勝手言いたい放題の今の嫌な女性文化大臣に予算をカットされてしまうのではないかと心配になってしまうので非力ながら宣伝致します)

ここは16世紀に栄えた地方領主のお城、その頃はラファエロとかその時代のアートのコレクションがあった。その盛衰は歴史通でなければチンプンカンプン😅、有名どころとしてはルイ14世の寵姫のモンテスパン伯爵夫人が凋落後この城を買って最晩年に住んだ。 

それはともかく国が1943年に廃墟化していたこの城を買いフレスコ画や装飾を修復し、今やなかなか絢爛。だからポンピドーセンターとヴィレットというニュートラルな展覧会場で開かれた「大地の魔術師たち」とはかなり趣を異にするはずなのだが、ここでは城の建築も含めてキャビネ・ド・キュリオジテ的な融合というマルタンさんのエスプリがどっぷり。このコレクションが立ち上がったのが1993年だから時代的には「大地の魔術師たち」のすぐ後で、おそらく展示品も重なっているものもあると思う(確証なし&記憶に自信なし)。

アーティト側からそれに応えて作った作品もある。例えば2階に上って最初の大広間 「軍隊の間」、この立派な装飾豊かなサロンにはかつてルイ13世時代の戦争の英雄の絵が飾られていたらしいのだが、今ではそれを漫画化したような辻褄のない物品を組み合わせて作った可笑しな鎧のようなオブジェが飾られている。それら自体はそれぞれかなりゴタゴタしたものなのだが、空間の広さもあってか不思議にあっさりと極彩色の天井画と調和している。これは食事後のテーブルをそのまま固定した作品で有名な Daniel Spoerri で、ちょっと意外なようなやっぱりのような(笑)

この投稿の一番最初の百姓一揆みたいなBraco Dimitrijevicの作品もここだけのサイトスペシフィック。 

こんなふうに書いていくとキリないし、大きな空間の展示は写真も難しく、その場のハッとする感覚がでないのでごく簡単に終えてしまおう。ともかく見るものたくさんあって3時間以上いたけど最後は多少端折り、、、というのもここはカフェテリアとかいう洒落たものもなく近くの村もほぼ何もなし、じっくり長期戦するならお弁当持参で庭でピクニックしかない!


 

インスタで上げた写真は:

最初の動画はランプをワイングラスの影に映し出すBill Culbertの作品

次の写真二つは先の述べたDaniel Spoerriのアッサンブラージュで、動画は「軍隊の間」全体

「王の間」のイカルスの墜落がテーマの17世紀の天井画、その次が「美の女神達の間」 

Thomas Grünfeldの怪物

鏡の中で青い曲線が円になるFelice Varini

Tom Shannonの反重力彫刻

Charles Rossのレンズを通して太陽光が木を焼くのを毎日記録した作品  

オワロン城に招かれて食事した人のプロフィルが青線で描かれたRaoul Marekの作品

足で絵を描く白髪和男と川名温の日付画があったのはちょっと意外だった!

最後は私が苦手とする Marina Abramovic、クオーツのバイブレーションを感じて心の旅に出てくださいって、、、石の枕、痛いだけで何も感じないのですが

 


結局ここを私が非常に気に入ったのは史料では計り知れない「大地の魔術師たち」の「あの時」の新鮮味が保たれていることがあるのだが、単にノスタルジーを超えて私はやっぱりサイトスペシフィックな作品が大好きなのだと自ら確認するに至った。10年以上続けた海水ドローイングばかり続けてきたが、少し転換の兆しあり?や否や?

 

参考

オワロン城のサイト https://www.chateau-oiron.fr/

その中の現代アートコレクション Curios & Mirabiliaは https://www.chateau-oiron.fr/decouvrir/la-collection-curios-mirabilia

 日本語での簡単な解説:https://artscape.jp/artword/6068/

「大地の魔術師たち」とマルタンさんに関しては過去の投稿で書いています(ただし他のサイトに画像を頼っていたので絵抜け状態)


オマケ:YouTubeにこんなのもありました。Shannonの反重力彫刻の設置の様子です。 ちょっと面白い
 

 

2025年8月1日金曜日

岡本太郎とパリの切っても切れない関係

大阪万博は今がたけなわだろうか?:私はそうした情報には全く疎いだが(=全然興味なし😅)、パリではごく小さなものだが72年の大阪万博の太陽の塔を巡る岡本太郎(1911-1996)に関する展覧会が、主に所謂原始的な民族的アートを展示するケ・ブランリ博物館 (Musée du quai Branly) での開催されている。

日本では誰もが知る岡本太郎(この投稿で「へーえ」と思ったら詳しくはウィキを参照ください)だが、パリでその名を知る人は??? 

彼は1930年にパリにやってきて1940年に日本に戻った。その間にシューレリアリズム、抽象というヨーロッパの前衛芸術の洗礼を受けるのだが、私がこの展覧会を見てびっくりしたのは、彼が1938-39年フランスの人類学の父と言われるマルセル・モース Marcel Mauss(1872-1950)(ウィキ学び、日本に戻ってから伝承民族芸能の写真や映像を撮っており、万博に際しても太陽の塔の建設だけでなく、現在の民俗学博物館の土台となるレプリカの展示オブジェの選択をパリの人類博物館へ行って直接行うほど加担していたという事実だった。そのパリの人類博物館は1938年開館され、彼がモース氏から教えを受けたところだった。

上の写真は模型で、太陽の目から出る光がウルトラマンみたい
この辺のことが特に会場で上映されているJean Rouch監督が東京の青山のアトリエを訪れインタビューする映画(1974)で描かれており、これは必見!!! これだけでも展覧会に行く価値がある。また岡本がパリ滞在から30余年経っているのにフランス語が上手なのにびっくり。やっぱり20歳前に行っただけのことはある(自分への言い訳😅) 

岡本太郎は宣伝に登場したりマスコミで奇怪な表情と言動でキャラクターにしたてられたりして胡散臭い存在で、フランスでのダリの存在と似ている(参考投稿)と思っていたが、二人とも天才的だったことは認めざる得ない。 

ところで私は72年の万博の頃安保闘争の火がまだ燻っていた名古屋の高校生で、学校による万博遠足(?)に反対し(お上のすることにはなんでも反対だった)、でも結局はおそらく多数決で遠足は催され(??)、行ってみたらプリミティブアートのレプリカに感動し、かつ西洋近代の名画、例えば私の記憶ではムンクの「思春期」も来ていて(???:上記ハテナマークのすべて記憶は甚だ曖昧😅)衝撃を受けて、その後家族をけしかけてまた行ったほど180度意見転換、、、あれ以来教条主義を捨てて全くもって軟弱になってしまったような気がするが、、、(笑) 
 
岡本太郎が撮影した東北の鹿踊り
 まあともかくこの展覧会は
ケ・ブランリ博物館の常設会場の一角の小さなものだから、万博あるいは岡本太郎研究家以外にはわざわざ行きなさいとは言いにくいが、行ったらJean Rouchのドキュメンタリは必見です。
 
 
9月7日まで
 
いま博物館サイトを見たら8月の木曜日の夜間:晩6時から10時までは無料らしいので常設展を知ってる方はこの間に行ってください(笑)
 

 

パリの人類博物館にかつてより収蔵されていた縄文の偶像
 参考

この展覧会についての ケ・ブランリ博物館 Musée du quai Branlyのサイト

https://www.quaibranly.fr/fr/expositions-evenements/au-musee/expositions/details-de-levenement/e/taroo-okamoto

 

2025年7月22日火曜日

ガブリエレ・ミュンター Gabriele Münter 回顧展

では本題に入ります:前回のマチスはついでだったので😄 
 
パリ市近代美術館で開催中のガブリエレ・ミュンター Gabriele Münter (回顧展 "Peindre sans détours ":「ストレートに描く」と訳しておこう)、生涯(1877~1962) はウィキもあるので参考にして貰えばいいが、その歴史的ハイライトは1902〜14年のカンディンスキーの連れ合いだった時代だろう。彼女は10歳上の彼に画学校の先生として知り合い、二人でオランダ、イタリア、チュニジア、フランスと各地を転々とした後、1909年に南独バイエルン地方のアルプスに近い田舎町ムルナウに家を買いそこで二人で暮らしたが、そこは「青騎士」グループなどの前衛作家の集うところとなった。当然彼女もその表現主義的グループに属したおかげで歴史に名を残すことになるが、私がこの回顧展で発見したのは青騎士の前からの並々ならぬ才能だ。


まずは写真。 ミュンターは両親の死後妹と親戚を頼って1898年から1900年アメリカを旅行をする(ドイツ人の両親はアメリカに移民して財をなし故国に戻った)のだが、妹が姉に手持ち写真機をプレゼント🎂、それで家族写真のみならず、ニューヨークからテキサスまでアメリカの風景や人々の様子など400枚に及ぶ写真を撮るが、撮影アングルなど見事でその時代の秀逸なルポータージュとも言え、技術習得も大変な箱型カメラで急に撮り出した二十歳そこそこのブルジョワ娘の写真とは到底思えない。例えば銃を彼女に向けた少年は構図としてはWilliam Kleinの有名な写真を思い出してしまう。その時代娘二人だけで旅行するというのもなかなかのことだったと思われるが。1902年にカンディンスキーと旅に出たチュニジアでも写真を撮り続けるが、この頃にはスケッチ帳を持ってデッサンをしていて、その後の20年代の人物スケッチも含めいわゆる線描スタイルでミニマルで明確、かつ表現力もあり、これが前回書いた「マチス先生大丈夫かな〜」との疑問を抱いてしまった故だった(笑)

それから木版もうまくて(右の写真)、これも対象の簡略化というか本質だけを抽出するグラフィックな才能が光っている。これは特にドイツに戻る前のパリ時代に発展させた。その頃のパリはリトのポスターに代表されるグラフィックアートの都でもあった。
 
そういう天賦の際があり恋人兼先生のカンディンスキーも「おおっ」と思ったのだろう、色々教えるがなんでも自然に身につける彼女のことを「生まれながらの独学者」と称した。
 
才能を発揮しつつも彼女のパリでの絵画はまだ印象派どまりだったが、南ドイツに戻り以上に述べた要素がフランスの野獣派の影響をもろに受けた「ドイツ表現主義絵画」として結実する。でもその時代の作品の中で私が特に面白かったのはミュンターが白黒の子供の鉛筆デッサンをコピーしてそれに色をつけて油絵にしたシリーズ。子供の絵はその頃急速に発展する産業に対しての自然な創造性を代表としてすでにドイツでは関心をもたれていたらしいという事も面白い。
 
子供のデッサンを

こう解釈(1914年作) スーチンもびっくりかも?


自分の構図はもっと安定してます。1908年作の「山小屋のある風景」
 
「青騎士」団の絵は伝承物語的テーマは多いが、カンディンスキーと彼女はムルナウ時代には素朴な伝統工芸にも興味を持ち、前述の子供の絵と同様それらをコレクションし、それらがモチーフが絵の中にも現れる。
 
ムルナウの家の居間、奥の部屋で横たわっている男はカンディンスキー(1910年頃)
 
1914年に第一次世界大戦が勃発、カンディンスキーはロシアに帰り、先妻と離婚したかと思うと(それでいままでミュンターと結婚できなかったはずが、、、)、32歳年下の女性と結婚してしまった! これでガブリエラはぶち切れ何度も鬱に陥り、芸術界からもマージナルな位置にも追いやられ、我が道を行くことになる。
カンディンスキーは1921年にバウハウスの教師としてドイツに戻ったが再度会うことはなく、かつ彼はムルナウの家にある作品を返せと言ってきてそれを断固拒否。ナチ政権下では彼女自身は「退廃芸術家」の烙印は押されなかったもののナチの意向にそぐうものでもなかったのでムルナウで閑居、地下に自分、カンディンスキー他の青騎士作家の作品を隠し続け、後にそれらはミュンヘン市に寄贈される(>レンバッハハウス美術館に収蔵)。
 
1920年以降作品的は表現主義的な具象の傾向を根底に保ちつつ、現代美術の潮流とは関係なく新しい具象を探求、以前よりずっと愛惜、心理性が伺われるようになる。
 
結局のところ私には彼女は何事もうまくこなすグラフィックなセンスの天賦の才ゆえに器用貧乏だったような気がする。 青騎士をほったらかして抽象絵画に向かうカンディンスキーや、見る人が見ないと😅「下手」としか思えないようなマチスやピカソは、資質のみならず自分のイデオロギーを築いて美術史のメインストリートを歩むことになるが、カンディンスキーががいみじくも指摘したように「生来の独学者」であり最後までこつこつと絵画の小径を一人一途に歩み続けた。
最近の私にはこういう人の方が親近感持てるかな〜 
 
孤独感の漂う1934年作の「鳥の朝食」

なんか寂しい感じになってきました。あの素晴らしい愛をもう一度? 
いえいえ1927年に美術史家哲学者の新しい伴侶を得て多分幸せに暮らしたのでご心配なく(一緒に財団も創設)

 

パリ市近代美術館にて8月24日まで 美術館サイト(ただしあまり情報なし)

回顧展だがそれほど大きくはないし難しくないのでので普通の人はマチスと合わせて簡単にみられるでしょう。来場者数から見てあまり人気なさそうだし(それがこのブログで取り上げる理由😅)

 
 
ここで終わりで写真とデッサンはネットに任せようと思ったらほとんどなかったのであえて:反射があってひどい写真ですが一応ご参考までに 
 
 

 
 
 
 
鉛筆のピュアな線描はコントラストが低くてもっと撮りにくくて、、、 

右の女性はOtto Dixの肖像画にある怖そうなジャーナリストだ!(1928)

最後に、これが彼女が持ち歩いたKodak Bull's Eyeというカメラ
 

 
少しダブりますがインスタにもっと写真載せました (一番最後の絵は初期のパリ滞在時の風景画です)
 

2025年7月14日月曜日

マチスの娘

マチス(1869-1954)は娘マルグリット(1894-1982)の肖像を100枚以上も描いた。その肖像画、デッサンが並んでいる。もちろん写真もあってそれらを比べて見ているとただの表情の違いと言える以上に顔が異なっていて、、、
私の知り合いで「マチスは装飾的でデッサンもできない」とバッサリ斬り捨てて嫌う人がいて「何言ってんだ」と私は彼を見下していたのだが、その私にも「マチスは本当にデッサンできたのか?」という素朴な疑問が湧いてしまうぐらいだ。もちろん模範解答は「できました:若い頃のデッサンをみなさい。わざと壊しているのです」 
ではなんのために? 目をつむっても描けるだろう娘の顔を、わざわざ眼前に座らせて、その結果違った顔ができてしまう。どういうことだろう?*
 
 
南仏コリウールでの家族写真(中央はアメリ夫人で前の恋人の子供マルグリットを1899年から自分の子供のように育てた) 
 
 
  上の二作は病弱そうな感じがするマルグリットの肖像
若い頃だから描き込んであり、デッサンできなかったとは言えないですなー😅
彼女は子供の時に喉を開く手術を受けたのでその傷を隠すために大抵リボンをしている。
つまりマチスの絵でリボンをした娘は彼女 。
 

 同時代の可愛いデッサン。
これだから悩んでしまう。ネックレスしてるし本当にマルグリットか?
(デッサンは額の反射で撮り難いのでパンフレットから)
 
  
 最初の写真のように会場に幾つも並んだマルグリッの肖像の中で「これはいいではない」と思って作品横の解説パネルを見たら、所蔵は倉敷の大原美術館、さすが大原孫三郎+児島虎次郎見る眼があるなと感心したが、そこには次のエピソードも書かれていた。簡略に訳すと:
 
マチス夫婦はベッドの上にこの絵を飾っていて手放すのを躊躇していたのだが、マルグリッはマチスに「私の肖像だからという感傷で止まってはダメ。また私をモデルに描けばいいのよ。大事なのはお父さんの絵が美術館に飾られることなのよ」と言って父を説得した。
 
1920年だからマチス51歳、マルグリッ26歳。マルグリッ嬢しっかりしてます!
 
つまり彼女がいなければこの絵は日本に来なかった!?!
かつマチスは既にその時までに娘の肖像を何十枚と描いたはずだからこの絵はやっぱりかなり良い絵だってことをマチス自身が保証しているってことですよね。
 
上の逸話のようにマルグリッはただのモデルではない。もちろん娘だからでもあるが自分の意見をはっきりとマチスに言え、父もそれを聴いた。彼女はマチスの絵の管理事務や展覧会の展示にも携わるようになる。
 
その気丈な性格は第二次大戦中は息子をアメリカに逃し本人は父に隠して連絡員としてレジスタント活動に参加したことでもわかる。そしてゲシュタポに捕らえられ拷問を受け、ドイツの収容所に送られる途中列車から奇跡的に逃れた。
 
この展覧会を開催しているパリ市近代美術館には先々月に同時開催中のカンディンスキーの恋人だったガブリエレ・ミュンターを見たとき、館内の表示でマチスはヴァーチャルリアリティの展示という印象を受けて(それもあるみたい)無視してしまったのだが、ラジオで上述のレジスタンスの話と彼女自身も絵を描いたと聞いて多少興味を持ち直し見に行ったのだった。この二つの組み合わせ、大作家の連合いと父親に隠れた娘と最近の時代の風潮に合いすぎて嫌な感じもしたがミュンターの方は意外に内容及び作品レベルが濃かったので、これ以上見なくてもと簡単にマチスをパスしてしまったのだった。
 
大原孫三郎が買った肖像に戻ると、これは1918年作だがその前に描かれたほぼ同様なポーズの右の作品も展示されていた。つまり大原バージョンはここからマチスが得意とする(?)装飾的要素(かつ最初の鉛筆デッサンには柵の後ろのブルーの背景にニースの砂浜と海まであった)がバッサリと取り払らわれ対象だけに焦点を当てられている。こういうことがマチスのとって市場性のない娘の肖像だからということでできる実験だったのかもしれない。これが最初の疑問 の一つの答えか? 
 
その後マチスはダンサーのHenriette Darricarrèreをモデルにするようになるが(例えば「オダリスク」の裸婦)、娘とHenrietteと二人をいれたニースでの連作もあって、また「これいいな」と思ったら愛知県立美術館所蔵だった。目を引く二作が二作とも日本のコレクションってのは日本人学芸員の目が肥えているというより私も含めた「日本人好み」ってのがあるのかも?(=ある種の内省性?)
 
右側の女性がマルグリッだがリボンがない:1919年に再手術をして必要がなくなった(よかった、よかった)
 
 
 
 
そして最後にマルグリッの描いた自画像。まだリボンしてます。皆さんどう思われますかね?(笑)
 

 
ついでに再びガブリエレ・ミュンターを見たのだけど作品の質が高く、デッサンも上手くてやっぱり「マチスやばいかも」とまた思ってしまうぐらいだった。この話はまた今度 
  

「Matisse et Marguerite マチスとマルグリット」展 2025年8月24日まで パリ近代美術館>サイト 

 
 
 

2025年7月1日火曜日

充実のヴェニスの報告

Rapport de mes activités à Venise en mars (période de séjour : du 17 au 31 mars). 
Si vous ne comprenez pas le japonais, veuillez regarder la vidéo ci-dessous.
 
遅くなりましたが3月のヴェニスの報告(滞在期間:3/17〜31)
 
2022年8月にイタリアのエルバ島 が第1回目、続いて23年6月に第二回目をブルターニュで開催した「水」のテーマのフェスティバルの「アクアムール(Aquamour)」*、今回は飛躍的大躍進でヴェニス!!! それも飛行場を降りたら自動歩道に沿った壁にアクアムールの宣伝がズラーっと並び、こんな派手なことって私には生まれて初めてだからきわめて単純に気分高揚。私どころか企画のBさんもビックリ!

Bさんが連携を組むことになった大きな組織の会長さんともローバジェット・フライト(笑)で出会い、飛行場からこれも生まれて初めてのタクシーボートでまたまた気分高揚。ヴェネチア本島に着く頃には夕闇の帳が下り、ボートを降りた運河沿いはどこかもわからぬままBさんの後を追って歩いたらユーモラスな感じもする白い巨大なライオン像が突然目の前に現れた。その横には海神ネプチューンがずっと控えめにおり、これがアルセナル(軍港)の入り口と知ったのは翌日になってからだった。つまり私とBさんの宿(2部屋のアパート)はサンマルコからずっと東の運河を入り込んだ庶民的地区で(といえるかどうか?オーバートゥーリズムで実際には本当の庶民は大陸側から通ってくる)、ともかく観光客は中心街とは比べ物にならないほど少なく本当のヴェニス発見(?)
 
かつ私は作家としては一番乗りしたので私はその翌日から荷物運びを手伝うはめになり、小さなボートで朝も晩も運河を移動(車のないヴェニスの物品輸送はボート頼り)、乗ったことのないゴンドラも乗る必要はあるまいというほどヴェニスの路地道である水路側からの「水の都」も楽しみ、どうも今まで違和感を持ち続けていたこの街がはじめて「また来てもいいかな〜」と、、、つまり好きになった。
 
で、展示の方はというと、あなたの壁は3x4mぐらいと言われていたので大きな作品を二作並べようと思っていたが、問題は輸送。タカを括っていたのだが結局誰も車で行く人はいない。自分の自信作をチューブに入れてイタリアへ送るというのは紛失破損の可能性を考えると全く考慮外(日本の宅配のようには全く信頼できない&美術品専門の輸送会社に頼む予算はないし)
 
そこで思ったのはフライトの荷物に入るサイズのドローイングをアッセンブラージュして大きな作品にする。ちょうど5月の修道院の個展の展示作品のチョイスすることもあって昔の作品も色々引き出して見ていたから、「これはもう飾らんな〜」というドローイングの数々を破ってパーツを制作(?:これは描くよりよっぽど速い😅 ただし少しは加筆したものもある)、そしてどんな感じになるかアトリエの床に並べてシミュレーションした。我がアトリエの床はブルーなのだがこの背景色は白い紙片を浮き立てるし、それ以上にヴェニスの運河を思わせる効果があるではないか! それをちゃんと写真を撮ってパーツに番号を振った。
 
もちろん現地でその通り作れるはずも作ろうとも思わなかったが、右の「設計写真」を見た展示スペース担当者には「さすが日本人」といたく感動され、、、本当に何が他人を印象付けるのかはわからないものだ。
 
会場は長く使われていなかったかつての町工場跡でレンガ壁の状態はボロボロ、ロールペーパーを垂らして青の背景色を作るのは大正解だったが、その巻紙は日本のお店で瀬戸物などを包むために使われていた細かく切れ目が入っていて形状が変わるもの代物。波みたいにもなるから使えそうだなと目をつけた→アーティストは毎日ブラブラ何もしてないと思われるがちだがいつも制作のことを考えている人種なのです。百円ショップでもあったけどひょっとするとこれは日本にしかないかもと買って持って帰ったが計算を間違ったか完全に壁を覆うには足りなさそう。ネットで探すしかないがフランス語でなんと表現したら見つかるのかと頭を捻り、、、見つけました papier d'emballage en nid d'abeliile 蜂の巣型包装紙というんだって!(でも実は日本でもそんな名前だった😅) クラフト紙製しかないから青にするためスプレーを買って、でも一缶では足りなくて、、、なんてことを出発前日までしていてやっとこさ着いたヴェニスでの前に書いた飛行場の広告は一際感動だったのだ。(後談になるが、実は街の中には広告皆無で関係者以外で知る人はいない。すごい一大イベントのように見えるがこのようになんかちぐはぐな不思議なフェスティバルなのだ)
 
展示の話に戻ると、2日はかかるつもりだったのが壁は言われていたほど大きくはなく、また会場での手伝いもあってほぼ半日で終わってしまった! 

 
 
 
この作品はヴェニスの人は明らかに私が運河と埋立地のヴェニスを意識して作ったことがわかり、また関係者には新たな企画で挑戦だったので驚きがあり概して好評だった。 
 
そして2週目はアーティストが持ち回りで毎日展示会場にいなければならなかったはずが、ちゃんと若い学生さんが雇われていてそれからも解放されほぼ完全ヴェニスでのバカンスになったのだった😄 
 
 
ここで自己中にならぬように同じ部屋に飾られたアーティストの作品を紹介すると:

 
(上)Paolo della Corte彼は写真をラグーンの水の中に何日も浸からせて色々なものが付着するにまかせる 
 
(下)Perrine Angly:私と同様彼女も毎回出展だが、前回とは違うトレーシングペーパーの両面にドローイングした作品を窓に貼った。
 

会場風景:真ん中は Federica Tavian Ferrighi のラグーンの島で育てた草木で染色して作ったドレスのインスタレーション
 

 先に書いたように今回はブラブラ街を歩き回り
 
 
 
消された落書きが微妙

美術館には行かず教会めぐり
 
 
サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会(Basilica di Santa Maria Gloriosa dei Frari)
のティッチアーノの巨大な「マリア昇天」
 
 




ここにベリーニの聖母子像があったのが1993年に盗まれたそうです(Madonna dell'Orto 教会) 
イタリアらしいというかこの空の額になぜか感動(多分現代アート病に毒されてているからかも?) 

 

大発見は Scuola grande di San Rocco のファンタジックでかつ力強い木彫群でした!


 

今回は遅れた報告なり見応えあったでしょう (笑) 

 

参考過去投稿: 

エルベ島でのアクアムール

ブルターニュでの第二回アクアムール