ポンピドーセンターでのトゥオンブリの回顧展にショックに近い感銘を受けたことは書いたが(*投稿)、実はそれ以降私はトゥオンブリ・コンプレックスに陥って、今回のギリシャ旅行は一種のテラピー(?)
彼の大好きなアキレスの関連の土地は行かなかったが、デルフィは彼が何度も大きく名前を綴ったアポロンを祀り、レパントの海戦もトゥオンブリの連作の一つで、、、
トゥオンブリの巨大なレパントの海戦(215,9 x 334 cm) |
これは私の小さな海水ドローイングのレパント海戦(25x25cm) |
彼の場合はホメロスなど古典文学に心を揺り動かされたらしいが、私だってレパントの海戦ぐらい歴史の教科書だけでなく塩野七生の、その場を見ていたの如き歴史小説で血湧き肉踊り「仔細に知っています!」と言いたいところなのだが、これがいやはやまったく何も覚えていない。結局彼女の小説のヴェニスのこともコンスタンチノープルもローマ法王のことも、、、あの読書時間はいったいなんだったのだろう? 楽しく読んだからそれで良いと言えば良いのですが、人生ってこんなものなのですかね???(他の読者の皆さん、貴方はどうですか?)
本当にアポロン?下の葉が月桂樹だそうで |
基本的には読んだ本、見た絵が歴史的傑作であろうがなかろうが 、こちらの心持ち(問題意識)で感動できたりできなかったり。だから「課題図書なんてのは最悪の教育で自分が面白い本を読めば良い」といったのは誰だったか(最近?ひょっとしたら昨日の昼聴いたのにもう忘れた)、てな具合だから私はほぼすべてを諦めた方がいいのだが、ある意味でトゥオンブリは私にある希望を与える。彼も無口だったらしいけど、そのかわり説明できない感動のコアみたいなものを描く目的にしたように思えるから。
でもそれが他人とシェアできるか? トゥオンブリに確信があったとは私は思わない。でも自分自身ではこれだと思っただろう。アーティストの目標は人をてらうのではなくそれしかない。
「古典」といえばレパントの海戦ではドンキホーテを書いたセルバンテスがスペイン軍で戦い左腕を負傷。ナフパクトスに彫像が立っている。そのドンキホーテをテーマにしたグループ展を昨年の春にしているのだが、ほぼ一言もブログには書かなかった。その画廊で今年の春にすることになっていた個展が流れたのは宿命と言うか当然の帰結と言おうか。だがグループ展の作品のためにとドンキホーテを飛ばし読みしたことは「収穫」だった(サンチョ・パンサがしばしばさめた良いことを言う)。だからナフパクトスに海水は外せず、評論家なら「坂田英三の一種の儀式的行為」なんて言ってくれそうな「ボトル片手の海水浴」をして戻って来たのでした(笑)
トゥオンブリの「アキレスの盾」 |
アテネ対スパルタのピュロスの戦いの盾 |
ナフパクトスのセルバンテス記念像 |
これは私の海水墨絵ドンキホーテ |
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