2020年11月5日木曜日

禁じられた商品棚とまたまたマスクのお話

1)散歩がてらモノプリに行ったらこんな風になっていた。

昨日の続きになるが、甘いロックダウンでも外された本屋などの小売店は、スーパーや大手量販店が同じものを売っているのに不公平だと文句をあげた。それに対し政府は小売店を開けるのではなく、必需品のリストを作り、スーパーでそれ以外は売らないよう通達を出した。写真はその結果。ちょっとお笑い。多分商品をとって自動レジに行ったら絶対買えそう。

まあそんな実験はせず、マイクロフィルター・ミルクだけを買った。わざわざモノプリに散歩して行くは同店のこのミルクは絶対美味しいと思っているから。実は展覧会用の「牛の頭」の制作中は包装デザインで選んだパック入りのミルクを仕方なく飲み続けていたのだ。それから解放されて幸せ!

 

2)マスクが郵便受けに。政府が貧民世帯(800万人?)に配布してくれるマスクの第二弾!(5・21に少し記載)六枚入っていて20回洗濯可で6ヶ月使えますと書いてあった(日曜除き1日二枚ってことか?)

パリ市がくれた青い「鴨嘴型マスク」は醜いのと、呼吸のたびに縮んだり膨らんだりで滑稽すぎて使用していなかったのだが、口先のスペースの余裕が魅力で私は愛用するようになった(6・15記載参考)。春はダックマスクが主流だったのに秋には全然姿を消し、私がしていると珍しがられるほどだっだ。だが嘴型はフィルター機能の高い医療用に多いからか再ロックダウンとなって少し盛り返している。パリ市のマスクは医療用ではなく洗濯可のペラっとした布製で、使っていたら大きな不具合を発見。風に弱い! とがっているから抵抗大きくて風を受けてぺっちゃり。秋の低気圧が通過するようになってからは✖️✖️。

唇の周りにスペースを作るためのプラスチックの半円球カップみたいなのものがネットで宣伝していたので安いものだし買ってみたら、なかなかいけて、コレ(mouth bracketと送られてきた封筒に書いてあった)を使うと、化学繊維(?)の少し毛羽立っている(使い捨てを洗っていたからか?)安物マスクは肌にこそばゆくてダメだったが、政府支給の厚めの布マスクはそれがなく、また耳にかけるところもゴムでなくて布でしっかりしていて完璧。鴨はやめてこのコンビにして喜んでいたのだが最近寒くなって息がプラスチックに露結するようになった。でもまあ今はこれを使用中(洗うのが当然となってちょうどいいかと)。かつカップを上の方にしてすると目の下までぴったりとマスクで覆われ、こうするとメガネが曇りにくいことを発見(ちょっと眼鏡を鼻先かけ気味にした方が良い)。実際目のギリギリまでマスクしている人がいるのの謎が解けた(ただのスタイルの問題ではなかった)。

こう書くと私はもらった無料マスクしか使ってないと思われるかもしれないが、薬局で買った使い捨てマスクも何枚もあるし、隣人アーティストのデザインマスクも購入、街角で「きれい!」と思って買ったが布がゴワゴワで使わないもの、最近では開催予定だったグループ展の「Hybridation(混種化)」というテーマに合わせて会場で着用しようとインターネットで見て買った黒猫の鼻から下が印刷されたマスク(キャットピープルになろうと思ったのだが、これはちょっと詐欺まがい:印刷も悪いし、黒猫なのに白糸で縫製してあるという至極杜撰な中国製だった。結局これは「牛頭」を作ったので用途もなくなった)と色々あるのだ(名誉挽回のため)。だが結局もらったマスクが一番なのはやっぱり貧乏性か?

 3月には「感染防止効果なし」とフランス政府にみなされていたマスクが4月には「着用義務」になった「出世」のことは大昔に書いたが(マスクの復讐)、私は未だ懐疑的で 、一般のマスクは唾などは防げるからないよりはマシかと思うがそれ以上の効果があるとは思えない(ウイルスの大きさから考えて)。こんな非難されそう意見(正しくなかったらいいのだけど、、、)を言うのは、着用が義務化して以来「マスク過信」があると思うから=距離が取れなくてもマスクしてるから大丈夫という過信。オフィスも学校も地下鉄も閉鎖できないけど、マスクも絶対じゃありませんからと強調した方が、個人が各々状況に合わし警戒するようになっていいと思うのだけど。となるとまた○✖️式でなくてわかりにくくなって、マスクしない人や職務拒否が増えるのだけかな〜? だから嘘ついて?:政府も大変だなあと私は正直同情しています。

でもこれだけ感染(第二波)が大きくなるとなんか大間違えしているのではと疑りたくなりますよね:これに関する私の勝手な詮索はまた今度 

 

追記:上記のマスクなどをアマゾンで買ったら49ユーロ払い込まされていた。知らないうちにAmazon Primeってのになっていて、、、なんかの拍子に間違ってクリックしてしまったのか? ともかくプライム解約したら「貴方は特典を使ってないから49ユーロ払い戻します」というメールがきた。何なんでしょうね、こう言うやり方って?(油断がならない) 


マスクに関する掲載例(の一部)

3・23 コロナと私 II

4・1 マスクとコロナのオーバードーズ

4・4 マスクの復讐(復習) 

4・9 マスクの復讐 II

5・31 パリ市のマスク

2020年11月4日水曜日

秋深し 画家なき 牛の目に泪 (フランスの甘いロックダウン)

 私の予想より厳しくフランスはまたロックダウンされてしまい(つまり外出は証明書要、散歩は1キロ圏内)、私はほぼノックダウンされてしまった。一般的には今回のロックダウンは、小中高と学校は開いているし、お店はスーパー、食料品店、薬局以外にもタバコ屋(電子タバコ専門店も)、情報機器の店もオーケー。通りを歩いたらキッチン用品屋も、メガネ屋も、チョコレート専門店もコインランドリーも開いていた。鍵を降ろ(ロックダウン)したのは本屋、服屋、美容院、日焼けサロンと少数派といえる。もちろんカフェ・レストランは閉まっているから通りにいつもの賑わいはないものの、学校の子供の送り迎えの親たち(これはフランスでは親の義務:行くのは親自身でなくてもいいが)、はしゃぐ高校生達をはじめ、午後の通行人の数はいつもより少し少ないかなと言う程度で、「ええっ、なんで私は閉じこもっているの?」と思ってしまうぐらいなのだ。とはいえマスクを顎に下ろしてタバコを吸う、あるいは携帯で話しながら歩く通行人やジョガーがいる歩道に私はわざわざ出かけはしないが。

つまりかなり甘いロックダウンで〜、スーパーみたいに込み合わないのに商売禁止となった街の小売店が文句を言いたくなるのは当たり前。でもこれを許してしまうと何が残る? つまりはカフェ・レストランと興行関係のみになって(ラジオ聞いてるとサッカーもテニスもやってる。もちろん観客制限(関係者のみ?)してだろうけどこれもなんか不思議)、本当に感染防止効果がありそうなのはカフェ・バーだけじゃない?(これもどれほどかは定かではない)「密室環境」がよくクラスターの槍玉になるが、それは因果関係が容易に「追跡」できるからという理由もある。こういう根拠が明白でない状況で「コレはいいがコレはダメ」というと文句が噴出する。例えばこの通りはダメだけどこちらはいいとなると「平等でない」と反逆精神旺盛となるが、全部ダメとなると「仕方がない」と意外によく従順される。このフランス人の「平等意識」(?)は私にとって3月以来の大発見だった

かくなる「貧乏くじ」的因果(?)で、昨日搬入で明日木曜がオープニングの予定だった私のグループ展も中止になったが、3月(その時のグループ展は一応始まったが翌々日からカフェは閉まり5日後から完全ロックダウンになった)に比べると、展覧会というのはオープンまでにエネルギーをさくので、オープン寸前キャンセルの今回はずっとがっくりくる。人によるかもしれないが、オープンしちゃえばそれで一段落で次の目標に向かえると思うのだが、少し後に延期ではズルズル企画を引きずるばかりで、、、(実は今度の展覧会はもともと5月の予定が11月になった。その時はさすがに半年もずれたので新しい企画として取り組めたのだったが)。 かつ日もどんどん短くなるばかりで、そうでなくても地下生活画家にはつらいのに。

ところでこの展覧会中止をfbにも載せたご覧の涙する(?)牛の写真をつけて送ったらいつもにない数多くの返事が来て、、、ロックダウンで暇なのかな〜? 私は暇なのでお一人お一人丁寧に返事させていただいております(笑) 

 




Cela va sans dire que l'exposition est annulée 新たに禁足令がでたので展覧会はキャンセルになりました

Publiée par Eizo Sakata sur Vendredi 30 octobre 2020

2020年10月26日月曜日

日本時間のパリと牛時間の私

私のアトリエの大きなスペースは地下で、文字通りの地下生活者(?)なので暗い冬は日光を求めて日当たりの良いカフェに行く。今日は晴天だったので4時ごろ出かけたのだがコーヒーを飲み終えもしないうちに太陽がビルの影に隠れ日陰になってしまった。そうそう、昨日から冬時間になったので午後の4時は先週までの5時。もう日も暮れる。あーあ。とは言え朝起きた時暗いと起き上がる気がしないので、私は冬時間派。

夏時間・冬時間が変わる日には「牧畜農家では牛はすぐには順応しないからミルクの生産が、、、」なんて平和なニュースを飽きもせず流すものなのだが、今回は「万聖節の秋休み」に入る直前に地理・歴史の先生がマホメットの風刺画を授業で取り上げたからが故に学校前でまさに家畜を殺すが如く喉をかき切られて斬首され、一方同時にコロナの患者数が急増して夜9時以降は外出禁止(全国ではないが国民の2/3が対象となっている)となり、当然牛の体内時計どころではないのだ。

真面目な人はこんな時代にこんなことしてていいのかと言うだろうなー
外出禁止の方は、人が集まらないようにするつもりが前倒しでカフェ・バーが混み合い、8時半すぎにメトロが終電のように混み合うようになったのでもっと厳しく、例えば夜7時からにするとかいう「噂」に関するあれやこれやがもっぱら。明らかにこれは政府筋がマスコミに流して「地ならし」をしている(だからおそらくそうなるだろう。いやもっと厳しいかも:土日禁足とかも流れている)。7時までとなるとフランス勤労者も日本のサラリーマンの如く5時過ぎに飲み始め6時にはほろ酔い加減(笑)? ちょうど冬時間で今の7時は今までの8時でフランス人の体内時計ではお腹が空く時間となってくるので、家に帰ってテレビニュースでも見ながらご飯食べて寝なさいとのお達しを出すタイミングではある(変化に耐えやすい)。日本の生活パターンが推奨されたかのようなだが、まあそんなに簡単に問屋が卸すとは思えない(何がどの程度感染に寄与しているか明らかでないし)。でも今回は秋になって「感染者数は増えても死者数は春ほど増えていないから」と私は軽く見ていたので反省、もう何も申しません(といっても何も言ってませんでしたが)。

もう7時、私の体内時計は「牛の如し」で夕食モードを告げている。でも1時間我慢して〜、てしない方がいいのかな? 結局人間でも牛でも体内時計って習慣、つまり文化の産物なのか?

前回書いた体内時計なき「牛乳パック牛」の頭は近所のパン屋の協力もあり、できあがりました。展示会飾り付け担当者のプランニングでは私のドローイングの前に赤いピアノが置かれる。「弾けるからいいや」と黙認していたのがそのピアノは人間の動作を感知して音を出す仕組みだそうで、、、これで歌うのは大変そうなので人の預かり品のギターを持ち出した。だが「戒厳令」* が7時になってしまうと展覧会のオープニングは? 私のショーは????

注 * Couvre-feu 文字通りには火・灯を消すで、私はきな臭い状況で布かれるものことと思っていたのだが、こんな状況で使われようとは、、、。もちろんドンパチする状況でなくて幸いなのだけど、マクロンはコロナ対策も「戦争」にしていたが、これも同じく過剰表現。3月の外出禁止令はconfinementという言葉だったが、部分的confinementとか時間制confinementとか言葉は色々あっただろうに。これに比べまさに言葉を絶する教師惨殺の方は何も書きませんが、表現の自由と宗教などエイゾウの手に負える相手ではないとご了承ください(私がどちらにつくかは明らかですが)

動く絵はこちら

2020年10月13日火曜日

3度目のVACA - 反芻するエイゾウ

最近全然ブログが改まりませんが、ただただ書くほどのことがないような、、、一応元気にやっておりますのでご心配なく。

なので今日は「気を決して」ブログをというのでもなく、、、

11月のグループ展のための「牛の頭」を組み立て始めたが、予想通り材料不足で挫折。向かいのカフェやパン屋さんにも聞きに行ったがちょうどタイミングが悪くてもらえなかった。材料とはゴミになった牛乳パックのことで、コロナの季節で「ゴミ箱あさり」はしないほうがいいので、我がビルに「お願い」を貼って集めているのだが、昔に比べ子供が減ったのと(みんなあっという間に大きくなり巣立っていった)、容器として紙パックよりプラスチックボトルが主流になってきたため(これは私の観察)、加えて乳製品を避ける人が多くなってきた(豆乳とかオーツ麦ミルクとかも出回っている)からかなかなか成果があがらない。 かつ近年「蝶々」作りのためにジュースの容器も集めたので何を集めているかが十分に理解されておらず、、、(苦笑) また協力してくれる家族が限られてしまうと同じミルクパックばかり集まるということになって、某メーカーの宣伝をする気では毛頭ないし、色のバラエティもなくなって全然良くないのだ。「あ〜あ」というわけで創作意欲喪失ゆえのブログです。

牛乳パック牛を作るのは3度目で、第一回は2009年夏、カンタル地方の県庁所在地のサン・フルールという街のフェスティバルで2週間町の広場で野外制作した旧hp。この時は市のゴミ処理場に連れて行かれた(だからすぐに集まったが、パックを洗わねばならないのが大変だった)。2度目は2011年、スペイン、ピレネーの人形劇団でのアーティスト・レジデンス・プログラムで。乳製品パックは劇団員の人に頼んで置いておいてもらい、事務所のある街のカフェでももらった。この時も牛の頭だった1回目の牛の彫刻(?)ではなく、人形劇団という場所に相応しく動かして子供が楽しめるようにした(次のビデオ参照)。 


 

さて今回は、、、「牛の頭」をかぶってセンターにあるピアノの弾き語りで「哀歌」を歌う予定で、マイクのこともあるし、鍵盤も見えないしで、日も迫ってきたので完成させてかぶって練習せねばならないのです(というほどのたいした歌ではないのですが☺︎ )でも目標は高く、昔「狐の頭をかぶって歌ったジェネシス時代のピーター・ガブリエルの如く」を目指しておりますので乞うご期待。でもこの企画もコロナで吹っ飛ぶかもしれないけど


回顧録 :

旧ブログで、1度目の「牛」のことは4回にわたり書いています。なつかしいなー

 
2度目の方は2ヶ月のレジデンスだったので アビザンダ Abizanda から短いながら6月にかけて13回も書いてあります(ただし「牛」の話は1度だけです)
最初の上のリンクの記事の下の矢印をクリックして次々と、、、(と読む人あるかな〜???)
 

結論:だらだら書き出した今日のブログでしたが過去を顧み楽しくかけました。再起を期しますのでよろしく 

 

2020年9月22日火曜日

難破船、その名はジンセンマル

前回予告のユー島で難破した日本船、その名はジンセンマル:多分「神泉丸」ではないかと思うけど、インターネットで全くひっかかってこないので確証なし) 

 以下、右写真のようにトランシュ岬(上のパノラマ写真の奥の冠型の岩の辺り)の近くの石に貼り付けてあった解説パネルにあったお話です:

1895年にイギリスで建造された蒸気船ムガール号(SS Mogul)は110mの長さの貨物船で、1904年に日本郵船会社に商船として買われ、ジンセン丸と新たに命名され、基地を大阪に置いた。

第一次世界大戦中、日本は米国の連盟国で、ジンセン丸は戦時協力。1918年11月9日米国から5000トンの軍事品を積んでウェールズに向かって出航。弾薬、救急車、部隊輸送用トラックを運んだ。軍事船への変換は簡単なもので、後部に105ミリのキャノン砲を備え、船員は5人のアメリカ兵で補強された。こうして1918年12月2日、15船団でウェールズからボルドーに向かい出発した。

12月3日ユー島沖で船は激しい嵐に襲われる。悪いことには機械室で故障も勃発。漂流しトランシュ岬の西のトンヌ列岩(?)で座礁。悪天候のため船での救援は不可能だったが、島民のフレデリック・ベルナールは150メートルのロープを岸からジンセン丸へ渡すことに成功、3時間に満たない間にこの巧みな方法により57名の船員が救助された。フレデリック・ベルナールと日本人船長は最後に船を後にするが、その後すぐに船は波に飲まれ沈没。 フレデリック・ベルナールはこの勇敢な行動により米国から勲章が授与される。戦後にこのような栄誉の例は68人を数えるしかなく、稀な栄誉であった。

ジンセン丸の歴史はこれで終わらない。米軍は船荷を回収しようと船を派遣。物資は港の学校の横に貯蔵されたが、それは弾薬、特に砲弾で、すべてが爆発。この事故で子供一人が失明し、記憶に残ることになる。かつ回収任務を継続した米船もジンセン丸の難破海上で爆発の犠牲になり、この新たな不幸の結果、回収計画は断念される。

船の残骸は岸から数百メートルの、海底10メートル未満のところにあり、その浅さと波のうねりがその状態に強く影響を与え、今日では完全に破壊され残存品が散らばっている。完全に口が開いたボイラー、スクリューシャフト、舵棒、スクリュー といった特徴的パーツにもかかわらず、船の規模を想像することは不可能。それとは反対に鉄板と海藻の堆積の中に砲弾や車輪が見られるのは稀ではない。

 

ベルナールさんがどうやってロープを渡したか、私にはもう一つ「?」、これがわかると「予告」どおり血湧き肉躍るお話になるのですが、、、。

これがパネルですのでご検討ください私の、もちろんアプリに助けられての仏語書下ろしはこちら

注:ユー島のサイトにpdfファイルもあるのだけど何故か微妙に違う。。。 


写真(左上)嵐、荒波で口が開けたボイラー
写真(右上):蒸気船ムガール号の名で1895年5月に進水
写真(右中):鉄板の下の砲弾
写真(右下)スクリューの上のダイバー


トルコのエルトゥールル号の遭難の事件(ウィキ)はトルコ人なら誰でも知っていてトルコに親日家が多い一つの理由になっているけど、ジンセン丸のことは日本では誰も知らないから、日本で「ユー島から来ました」と言ってもシラ〜でしょう。救助された生存者数ではあまりかわらないのだけどね〜。算数するといころ52名の日本人船員が救出されたのだから日本政府からもベルナールさんに勲章が与えられるべきたっだというのがユー島を愛する日本人(少なくとも3名)の一致した意見です

2020年9月16日水曜日

4度目のユー島

またユー島(Ile d'Yeu)へ行った。2016、17、19年に続きこれで4度目になる。

4度目ともなると大体の地形はわかっているし、主な名所は既に訪問済み。サイクリング、散歩、スケッチ、もちろん海水浴と以前の繰り返しをしているような気になったが、FBで「去年の投稿はこれこれ」とあからさまに示されるとその感は尚更なものとなる。まあフランス風バカンス(親切なKさんの「島の別荘」*に停留させていただいているので)なんてのはこういう代わり映えしないものなのかもしれない。とはいえこれはネガティブな意味では全くなく、ユー島は本当に風光明媚(というか私好みの荒涼感のある風景)で、4度目でもしっかり楽しめる。

今回は「1週間ばかり、最初の数日はぐずつくがその後数日は快晴」という予定(予報)ででかけたのだが、行った日から天気が良く、その後ずーっと好天続き。それで1日あと1日と滞在が延び、週末にナントの音楽フェスの出張版という催しもあり、これが終わり流石に2週間となって戻ろうとしたらパリは34ー35度の異常な暑さ、また本土ではコロナウィルスも元気旺盛で「もう帰れんわー」と思ったが、11月の2つのグループ展の会合があるし、作品もできていないしで、ずーっと海辺で寝ているわけにもいかない。いつ帰るかの予定もなくずるずるとホームステイをしていてはさすがのKさんにも愛想をつかされそうだしで、酷暑を避けるべく昨夜遅くコソコソと「花の都」に戻ってきた。

2017年の「遥かなるユー島」に書いたように、ユー島は一般人は大陸からフェリーでしか行けず、潮の緩慢のせいで運行時間が変わるので旅行日程を決めるのがのがなかなか悩ましい。かくしてコロナの蔓延する本土から隔離されている感があるためだろう**、それを追い風に人気赤丸上昇中、昨年の夏の人口2万5千人が3万5千人に跳ね上がったとか。島も「観光」に力を入れており、バスもきれいになったし町のロゴマークも格好よくなった。島の一番の名所は何と言っても岩壁の岸に建つ「古城」だが(16年の「ユー島紀行」参考)、そんな場所に城があったのは大西洋側は岩礁の海岸が続き、背水の陣で篭城ができるという地の利もあった(地元の漁師だけは船を操り食料・軍備補給が可能)。そんなわけで島に近づきすぎて座礁した船は数知れず、海岸ハイキングロードに座礁船の記念碑や説明パネルを建てるというちょっと変わった観光開発(笑)を促進。Kさん宅から遠くない私がよく行く岬の近くに今年は新しくお目見えしたパネルがあったのだが、これがびっくり日本船!

でも今日はここまで、次回はその日本人も知らぬ(ググってもでてこない)のその血湧き肉躍る座礁船のお話(笑)を紹介しようと思いますのでお楽しみに ♫


注: * ただしKさんは「コロナ蟄居」を島で過ごしたので、3月以来「別宅」が「本宅」になった感もある。羨ましいようにも思われるだろうが「島」のコロナ対策は厳しく、船もなくなり「鎖国」。かつ「禁足令」中は海岸地帯の散歩も御法度で警官(6人しかいないそうだが)が見張っていたとかで、、、Kさんはひたすら庭仕事に励んだそうです。
** 「鎖国」が開けたバカンスシーズンのユー島では8月6、7日に検査キャンペーンがなされ、995人がテストを受け5人が陽性だった。全員20〜25歳の若者でその3人は同じ家族だったとか。5人とも無症状だったがもちろん全員隔離されたsource
 

右写真はユー島の有名な「コロナ風物詩」となった、客との距離を魚獲りの網を使ってとる朝市の八百屋さん。

4度目ともなると絵葉書写真もあまりとらなくなってしまった。以前の投稿をご参考に

 
 
ユー島に関する以前の投稿

2016年9月2日金曜 ユー島紀行
2017年8月29日火曜 ユー島の海岸
2017年9月2日土曜 ユー島の海岸(続) 
2019年9月13日金曜 天国と地獄





vue vers la pointe des corbeaux (ile d'yeu)

Publiée par Eizo Sakata sur Mardi 8 septembre 2020

2020年8月28日金曜日

今週のジンガロ

乗馬劇団ジンガロの出し物の映画版がこの夏ネットで見られることを前回紹介しました(日本でも見られるそうです)が、今週(=フランス時間今日金曜から1週間)は私が2015年12月にブログした"On achève bien les anges" (「天使のとどめを刺す」)です。下のリンクからご覧になってください。

https://www.troiscouleurs.fr/bartabas-vous-invite-au-theatre-equestre-zingaro/