2015年3月27日金曜日

なつかしい現代美術

今週パリでは色々なアートフェアが開かれている。いつでもフェアはすごく大きくて人ごみに疲れる。「もっと沢山の人に作品見てもらえたら嬉しいなぁー」とは思うものの、ああいう日曜のデパートみたいなところにいるのはまっぴらご免、Lギャラリーで時々来る人をお菓子を食べながら待っている方が私には向いている。

タキスさん、あんたの時代は良かった
昨日はアポの時間を間違えられてしまったので時間つぶしに行ったパレ・ド・トーキョ、主に50年代から磁力や放電管を使ってテクノロジーアートを作ったギリシャ人彫刻家タキス Takis 英語ウィキ の回顧展をしていた(5/17まで)。2年前にほとんど顧みられなくなっていたキネティック・アートのフリオ・レ・パルクの回顧展2013/4/19記載があったが、パレ・ド・トーキョは現代アートの最先端みたいな方針ながら、それだけではやっていけないのか、こうしたハイテクの元祖(?)を取り上げるようである。こんな「理科室の実験」に毛の生えたようなものに「おおっ」と思った時代があったのかなあと今更不思議に思ってしまうが、ほのぼのとしたなつかしさが漂う。世界大戦、原爆、冷戦はあったもののまだ「科学の進歩」を信奉できた時代の「なつかしさ」、アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ主演の映画「冒険者たち」日本語ウィキを見るようななつかしさ(映画として全然良いと評価しなくても、テレビでやっていたら見てしまう)。それ故か同美術館にしては来場者の年齢層が随分高かったような気がした。作品よりも壁に引き延ばされていた、磁力を使って宙に浮こうとした試み(パーフォーマンス?)の写真の方が面白かった。

地下の別のテーマ展でも面白そうな巨大なローテク機械もあったのだが、いかんせん、新しい展覧会があるからかパレ・ド・トーキョーは有機溶剤の匂いが臭くて臭くて。頭が痛くなり、今晩のオープニングにここへ来る若者たちはきっと全員神経が麻痺がしているのだろうと、いつものテクノ世代への偏見を抱いて私はそそくさと立ち去った。

磁石にくっつく釘
その後某画廊に行ったら、有名中堅アーティストが「完全な円の研究」として幾つか丸を描いたA4版ぐらいの紙が7千ユーロで売られていた。タキスの磁石にくっ付いた釘なんかはいくらと評価されるのだろうか? 私は「美術的価値」と「美術史的価値」は区別されるべきだと思うのだが、そんなこと言う人いないか? 加えて言うなら「現代美術」は美術史化のTGVだと…

そういえば前回書いたインドの民俗画展、友達と行ったのだけど「フォークアートではなく商売画だ」とぼろくそに貶されて、、、実は講演会場でこんな楽しい絵の本を買ったのだけど言えなくなっちゃった。。。


地方選挙で始まり、飛行機事故、そして日曜は第二次選挙。フランス国営ラジオは相変わらずストで、変わらぬDJを聞き飽きた今週でした。

そして明日はすべてを忘れる… 
 (チューブに何年も貼りっぱなしだったステッカーは昔知り合った仏アーティストの考案品。荷物係がこのメッセージ(?)を見て何を考えたか?何も考えなかったか?それを考えるだけで楽しくなりますね〜)

1 件のコメント:

  1. 今、京都で開催されているPARASOPHIAという芸術祭で、火薬で有名な蔡國強.( Cai Guo-Qiang、)が中国各地で続けてきたというプロジェクト、ーー農家の人が知的好奇心をもって身の回りにあるものを使ってロボットや乗り物を作るーーそこから生まれた作品群を《農民ダ・ヴィンチ》というタイトルをつけて今回展示してありました。
    なつかしさ、稚拙さ、ぎこちない動きが妙に人を惹きつけ大人気。
    作家の知名度の高さや作品の人気度、値段のように、貨幣のみで交換できる価値は本当は作品の芸術性とは関係ないんでしょうね。どれだけ作品が安心感とか癒しを与えたか、やる気と情熱を貰ったか、違った見方を教えてくれたか・・・・そんな”金”と係わらない価値基準はもう無理か?

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