彼の知性に私はひるんでいた。彼は一緒にランチを食べようと提案した。それを想像する喜びは、不安、自分はそのレベルではないという心配を一層大きくさせた。心構えができるよう私は「何について話しましょうか」と彼に尋ねた。こうすれば馬鹿げて無駄であると知りつつも心が静められる。唐突にDはテーマを決めた。「朝何に起こされますか?」 一週間何度も検討しては沢山の答えを考えた。その日が来て、彼に同じ質問を早々と問い返したところ、彼は「コーヒーの匂い」と答え、そして私たちは話題を変えた。食事の最後にコーヒー、私は記念にコーヒカップを欲しいと思った。
引用が長くなったが、これは「コーヒカップ」という作品(インスタレーション?)の文章部分(写真)。
ちょっと長かったので次は短い「沈黙」
母はブリストルホテルの前を通るたびに立ち止まり、十字を切り、私たちを黙らせ、「静かに、ここで私が処女を失ったの」と彼女は言った
世界で現在最も名の知られていると言われるフランス人アーティスト、Sophie Calle (ソフィ・カルと日本では呼ばれるそうだが私は古風にソフィーで行きます)のこういう文章がキッチュな額に入れられてパリのマレ地区にある動物の剥製や猟銃などが並ぶ「まさに古式な博物館」と言う趣の「狩猟自然博物館」に二階の展示場に点在している。
こんなにわざわざ翻訳して引用すると熱心なファンかと思われるかもしれないが、私は彼女の作品が大の苦手。だって「読んでばっかり」で、、、。私は読むのが遅いからフランス人の友達なんかと行ったら速く読もうと焦るばかりで全然楽しめない。
では一人でマイペースにゆっくりすると、どうなのか? やっぱり「読んでばっかり」で、、、視覚的に何か残っているかな〜?
今回はそれでも博物館の常設展示と彼女のお友達である招待作家 Serena Carone(セレナ・カローヌ)の彫刻に助けられ、二階の展示場の文章はすべて読破した!(実は一階では団体がいてガイドがうるさかったので二階から見出した) 博物館という場所柄か(?)「ちょっと良い話」という感じの文章が多かったが、私生活とフィクションを取り混ぜた叙述は最初は楽しいが、何十というテキストを読んでいくと彼女の感傷吐露に私はうんざりして「全然そんなこと知りたくもない!」と私は叫びたくなる。
「それが現代アート!」といわれればそれまでのことだが。
彼女の文章は訳してみてわかったけれど、「訳し難い」。というのは文章がこなれていて、ちょっとほくそ笑ませたり、ちょっと胸キュンだったり、ちょっとゲロだったり、それを伝えようと思うと逐語訳では済まず、真面目にやれば多分大変な仕事になる(私の訳はあくまでも皆様の理解の為の単なる参考にすぎません)。
ソフィーさんのお父さんは著名な心臓科医で目利きの美術蒐集家、ソフィーは彼に最初に作品を見せていたのだが、2015年に彼が亡くなった後アイデア喪失に陥った。そんなとき「魚屋でアイデアを釣ろう」という宣伝を見て彼女は馴染みの魚屋に聴きに行ったところ鮭を勧められた(と黒板に書いてある:右写真)。このエピソードが今回の展覧会のキャッチになっていると思うのだが、そのビデオ作品を見ると魚屋さんは鮭の皮は彫刻に使えるかもと言ってるぐらいで、「それなら鮭買いな」なんていう「飛んだ会話」ではなかったのでがっかりした。やっぱりソフィーさん、脚色上手いんだよな(笑)。
この他、一階の現代的展示スペースは、病床での最後の言葉を綴った父を悼む作品をはじめ、「死」がメインテーマ、三階は雑誌の出会い欄のコメントを使った写真と文章の組み合わせの「恋人狩り」の作品で、両階ともごちゃごちゃとした(その分遊びのある)キャビネ・ドゥ・キュリオジテ的展示の二階とは違ってもっと純然たる彼女の作品が並んでいる。
彼女の切ない思いが作品に表現されたお父さんに対し、上の「沈黙」(実話かどうか知らないが)が示すようにお母さん(既に亡くなっている)もそうとうなもので、最近私が評価を高めている大衆紙のパリジェンの美術案内によれば、ニューヨークのMoMAのソフィー展のオープニングに同行したお母さんは「あんた上手く皆を騙したわね」と言って大笑いしたそうである。
この父母にしてこの子あり
彼女は子供がないので「これでピリオド」とかいう文章もあった。ちゃんと引用したいけどその為にはまた足を運ばねばならない。つまり上に訳した文章は私が好きで選んだのではなく、サイトで探したのだがテキストでは見つからず、文まで読める精度の写真が2、3しかなかったのでこの選択となった。
この展覧会は2月11日まで。博物館には他の現代作家の作品もあってそれ自体面白いところではあるのだが、会期最後は混むだろうのでソフィーのフランス語が読めない人は今行くことないだろう。
今探した「もっとマトモな美術的評論を読みたい人への参考」
・2015年にソフィ・カルの展覧会をした豊田市美術館の学芸員の方がこのパリの展覧会に関して書いたキューレーターズノート(但し写真にある「鮭の皮」の作品も涙する像もセレーナ・カローヌの作品です)
・ソフィのファンはうんざりせずにこう評価するのかと感心させられたartscapeの記事
0 件のコメント:
コメントを投稿