


それもそのはず? この島には妻のHedwig Mankiewitzと1907年生まれのロシア人の若き愛人Vera Broïdoの「三人所帯」で来ていて、浜辺で二人のヌードも撮っているが、ヌードもその中でオブジェ化されたり、接写でミクロな感触を喚起させる繊細な写真だ。もう何でも打ち壊すようなダダ表現とは全然違うように思えるのだが、一貫するのはある種の動き、瞬間性へのこだわりか。ちなみに写真展は「動きの視線」と題されている。
実は若きヴェラさんはロシア革命の少数派となるメンシュヴィキのリーダーの一人を母に持ち、シベリアの収容所育ちで、某美術研究家によると、その彼女の裸体を激写すること自体が「反イデオロギーの証」だそうだが、、、私は笑っちゃうけど、現代美術ファンでは「なるほど」と感心する人もいるのかも。
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三人所帯のお二人、お尻がそっくり! |
ベルリン・ダダは1918年に結成され活発に活動していたのは数年に過ぎず、1930年以降はほぼ写真一筋になる。しかしこんなバルト海の島で写真を撮っていたのも僅かで、ナチの台頭にドイツを追われ、33年にカタロニアのイビザ島に逃れ、この島の住居の写真が今回の展覧会の最終パートだが、そこにもフランコ軍が到来、スイスに移るが共産党のスパイとして追放され、その後は(米亡命が許可されず)戦争に追われながらのフランスで暮らし、、、結局はリモージュで71年に亡くなるという大変な一生で、彼の作品の大部分はナチスに破壊されるか亡命中に散逸し、先の「ダダ以後」の写真は70年代後半になってベルリンの娘のアパートから発見された「忘れられた作品」だった。
ラウル・ハウスマンと言えばダダ、当然上にリンクしたページもウィキも彼のことはダダどまり。
最後の写真はヴェラさん。これが元で先日書いた「黄金の雨」のダイアナにされたコラージュがあったのだが写真撮影失敗。
結局今日の写真はすべてネットでのリンクで掲載で。
参考:
ジュ・ドゥ・ポム美術館のサイト
5月20日まで。ワンフロアだけの比較的小さな展覧会です
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