アンドレ・ブルトンの「シュールレアリズム宣言」発行100周年に因んでポンピドーセンターで大規模な展覧会が始まった。その名も単に「シュールレアリズム」、副題はSurréalisme d'abord et toujours「まずは、そして常にシュールレアリズム」とでも訳そうか。
真ん中に「シュールレアリズム宣言」の本があって螺旋形にぐるぐるとテーマ別(つまり時系列ではない)に展示ホールを巡る。テーマは夢とか化け物とか夜とか、まあシュールレアリズムならそうでしょうという感じで、ポンピドーセンターとパリの近代美術館の持つコレクション、特に写真とドローイングがこれでもかというほど並べられている。そしてフランス国外からも私が何十年も見ていなかった代表作が来ているのでしっかり紹介を!
ということには私のブログはならない。というのも私以上の専門の方々が色々書いてくださるに決まっているから(笑)
そこで今日はですね〜、2年前のヴェニスのビエンナーレの女性シュールレアリスト展に続き(その時の投稿)、こんな人知らなかった(あるいは記憶から消えていた)というビエンナーレにいなかったと思う女性画家をまず二人紹介(ただの受け売りですが)。
一人目は Yahne Le Toumeli 彼女は将来有名ジャーナリストになってエクスプレス誌の編集長になるJean-François Revelと結婚し彼の仕事のために1950-1952年にメキシコに行く。下の作品が彼女の「魔術師メルランの馬」というアーサー王神話に基づく作品だが、この女性的なマジックメルヘン的ストーリー性、誰かに似てませんか?
ヴェニス・ビエンナーレの女性たちの記事をもう一度見て欲しいのだが、
Yahneはメキシコで、ビエンナーレにテーマを与えたエルンストと別れたレオノラ・キャリントンと知り合い、大きく影響を受けた。52年にはRevel氏とは別れているが彼との間に二人の子供があり、息子はダライラマの通訳であり著作家などとしてフランスではよくマスコミにも出てくる超有名人物のMathieu Ricardなんですって! 彼女自身も67年に改宗、フランス初の尼さんだそうでまたびっくり。
兎に角この展示作品はまさにシュールレアリズムで、パリに戻って1957年に100作にものぼる作品の展示をした時にブルトンがカタログの序文を書いた。つまりポンピドーセンターの展覧会はアンドレ・ブルトンと雑誌シューリアリズムとの関係で60年代までに至る。彼女もその後は抽象絵画に向かうがブルトンもその頃にはアジア的なジェスチュアルな絵画もシューリアリズムに入れている(最後の「宇宙」のセクションにそういう作品があったが、ひょっとしたら彼女の作品だったのかも? 今度確かめてきます:最後はもうヘトヘト、一つ一つ見てられません)
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Yahne Le Toumeli |
もちろんこの展覧会ではキャリントンはもちろん、ビエンナーレの記事で紹介したドロテア・タニング、ビエンナーレで発見して感銘を受けたメキシコでのキャリントンのお友達のレメディオス・ヴァロ、それにパリ市美術館で素晴らしい回顧展のあったトワイヤンの作品はいっぱい、それにフィニやセージももちろんあります。
さて話は戻って、知らなかった女性作家の二人目は Ithell Colquhoun。彼女はインド生まれでロンドンで勉強、錬金術、オカルトに熱中し、ケルト信仰とヒンズー教に始まりユダヤのカバルとか様々な世界のオカルトにはまり、いろいろな秘密結社に属し続けたのでシュールレアリストグループから追放された!
これがその彼女の「9つの貴石のダンス」というMerry Maidensという円形の石器時代の遺跡に関わる作品。そんな遺跡知らなかったので調べてみたら石は19立っているのだけど?
参考サイト
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Ithell Colquhoun |
注:彼女にスポットを当てたポンピドーセンターのページ発見。>コチラです
最近評価が高まっていて近々テートギャラリーでも回顧展があるらしい
そして私とは同じ屋根の下で暮らした切っても切れない仲のドラ・マール(意味のわからない方はこちらへ)はモンタージュ写真が「ユビュ王」など5点並べて展示されていた(彼女は残っているシュールな作品少ないのでいつものものだが、なかなか質は高い)。そして彼女のダチでブルトンの2番目の奥さんジャックリーヌ・ランバ、今回初めてまともな「作品らしい作品」を見た!(汚名挽回?!◎) |
Jacqueline Lamba |
では最後にローテクな錬金術士を描く私が結構お気に入りのレメディオス・ヴァロ
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Remedios Varo |
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Remedios Varo 部分 |
以上何回もリンクを貼ったヴェニスからの過去投稿を見てもらわないと意味がわからないと思います。
そのページでリンクを貼った「3分でわかる」ブログも必読必見です。
以上で今度のあまりにも手に余る展覧会の紹介は「サヨナラ、サヨナラ」のはずだったのだが、出口のブックコーナーでびっくり、エルンストの絵を使った展覧会のポスターが「売り切れ、入荷待ち」だそうで。私はエルンストの大ファンで、昨年もエクサン・プロヴァンスであった展覧会も見に行った。そこで「一緒に行かないか」と誘ったプロヴァンスの知り合いが「エイゾウ、エルンストなんか好きなの?」と怪訝だった。というのもエルンストのイメージはこのポスターが代表するような具象性の謎めいた油絵が一般的で、今度のポンピドーのシュールレアリズム展のポスターにも使われて、またまたそういうイメージがはびこってしまうのではと地下鉄などで見るたびに心配になっていたのだ。私的にはもちろん初期の本の"une semaine de bonté"などのコラージュなど秀逸だが(これにブルトンはまず惚れ込んだ)、私がエルンストが大作家たる所以は子供でもできるフロッタージュ(擦り絵)やデカルコマニー(転写:乾いてない絵に紙をくっつけて偶然性の模様を作る)を文字通り昇華させた宇宙観を思わせる作品群なのだ。今回見に行って「森」のセクターにも「宇宙」のセクターにも代表作が国外から来ていて安心したが、最後の方なので多くの人は疲れて碌に見ていないのでやはり誤解は解けないのではと心配にもなった次第。
上はエルンストの「森」シリーズを並べた壁で左にもう一点大作がある。一番右はドイツロマン派のダヴィッド・フリードリッヒ。もちろんシューレアリズムは1日にしてならずで、美術史の延長上にあるのだが、フリードリッヒがあるなら「ゴヤの黒い絵とか何故ないの〜」とか、かなり疑問を感じた蛇足的一点(もちろん私はフリードリッヒも大好きですが)
最後はエルンストの「ウサギウサギ、何見て跳ねる」(本当の題は「銀河の誕生」)で締めくくり。素晴らしい!(円盤の白い点々も近くで見ると色が違っていたりして凝っています)
(これは上の「森」シリーズの大作同様スイスから来てます。つまり私の好きなシリーズはグッゲンハイムとかフランス国外にあるので、これもなかなかフランス人のエルンストへの誤解が解けない理由だと思う)