展覧会ならず作品のタイトルも大事なことが、やっと最近私にもわかって来た。それは「絵画史上最弱」のランキングにも入らない私には尚更のことで、例えば「マラーの死」**:面会に来たジロンド派の女性に浴槽で殺されたフランス革命の英雄のマラー(持病のため薬湯治療しつつ面会客に会っていたという)は写真のダヴィッドの絵で有名だが、そこに殺人犯のシャルロットをピエタの聖母の様に登場させた秀作だと思っているのに(また自画自賛だがダヴィッドやミケランジェロと比べようと言う大それた考えは毛頭ありませんのでご了解のほどを)、この作品は絶対に動かない。
他の「自画自賛」の作品では「メフィストフェレス」とか「サロメ」とか「翼をなくした」とか、、、いくら私がイチオシしても否定的なイメージが伴うタイトルの作品は結局アトリエに温存されるという運命らしい。
ダヴィッドのマラーの死 |
ミケランジェロのピエタ |
私のマラー |
私のサロメ |
ところで「絵画史上最強の美少女」、よく眺めて考えてみると私も子供の頃カレンダーの写真を見て憧れたことがあることを思い出した。それが由縁か私の「サロメ」の顔にも同様な愛らしさと憂いが漂っているように思うのは作家本人のみだろうか?
今日は自分の作品の宣伝に尽きた感じがするが、それに上乗せ:
「マラー」は東京石川台に展示されたままですので 私の説を転覆なさりたい方にはお求めになってもらえます(笑) 「ひょっとしたらネガティブにとらえられるのか」とうすうす私が疑うようになった「ボクサー」もいます(下写真)
* 注:日本語のサイトを見ると「美少女」に「センター」とルビが打たれていることが話題になっているらしいが、浦島太郎の私には当然それが全く何を意味することかわからないことは言うまでもない。
** 参考:
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