2018年4月29日日曜日

坂田英三最強の自画自賛

「展覧会はタイトルから」と2月22日に書いたが、日本に帰って見たチラシの「絵画史上最強の美少女」*というのには笑ってしまった。これはタイトルというよりキャッチフレーズだが、堂々と意味のわからんことが書いてあるのが何とも日本らしいと言おうか。でもこういう日本人のとんでもない知恵(?)は世界を席巻するようになることもしばしば、「1932年 エロチックな年」はフランスでのその走りだったのかも。

展覧会ならず作品のタイトルも大事なことが、やっと最近私にもわかって来た。それは「絵画史上最弱」のランキングにも入らない私には尚更のことで、例えば「マラーの死」**:面会に来たジロンド派の女性に浴槽で殺されたフランス革命の英雄のマラー(持病のため薬湯治療しつつ面会客に会っていたという)は写真のダヴィッドの絵で有名だが、そこに殺人犯のシャルロットをピエタの聖母の様に登場させた秀作だと思っているのに(また自画自賛だがダヴィッドやミケランジェロと比べようと言う大それた考えは毛頭ありませんのでご了解のほどを)、この作品は絶対に動かない。
他の「自画自賛」の作品では「メフィストフェレス」とか「サロメ」とか「翼をなくした」とか、、、いくら私がイチオシしても否定的なイメージが伴うタイトルの作品は結局アトリエに温存されるという運命らしい。

ダヴィッドのマラーの死
ミケランジェロのピエタ
私のマラー
私のサロメ
こんなたわいもないことを考えていたら若い現代作家の展覧会のお知らせが来た。作家の名前をタイトルにした個展なのだが、「彼の名前を唯一のマニフェストにしたこの野心的な展覧会を通して、彼は決して安易さや表層性に余地を許さず自分自身を問いなおす能力を明らかにしている」そうで、、、こういうまったくもって不毛なフランス現代アートの典型的な紹介文を読まされるとうんざり。「『絵画史上最強の美少女』のほうが楽しくていいかー」という気がしてくるが(苦笑)、いえいえこのジャンルの「最強」は何と言っても詩人の江藤さんが個性的な文章で作家と作品を紹介をする名古屋Lギャラリーのコピーでしょうねー。

ところで「絵画史上最強の美少女」、よく眺めて考えてみると私も子供の頃カレンダーの写真を見て憧れたことがあることを思い出した。それが由縁か私の「サロメ」の顔にも同様な愛らしさと憂いが漂っているように思うのは作家本人のみだろうか?

今日は自分の作品の宣伝に尽きた感じがするが、それに上乗せ:
「マラー」は東京石川台に展示されたままですので 私の説を転覆なさりたい方にはお求めになってもらえます(笑) 「ひょっとしたらネガティブにとらえられるのか」とうすうす私が疑うようになった「ボクサー」もいます(下写真)



* 注:日本語のサイトを見ると「美少女」に「センター」とルビが打たれていることが話題になっているらしいが、浦島太郎の私には当然それが全く何を意味することかわからないことは言うまでもない。


** 参考:
マラーの死 - Wikipedia


後記:そうそう、この官能的な「マラーの死」は浜松のFさんに買って頂いたこと忘れていた。。。

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