2016年12月12日月曜日

朝市のトニー・ブレア

昨日朝市に行ったら、トニー・ブレア(ウィキ)こと我が近所のジャンヌ・ダルク教会の日曜の朝市に来るパン屋さん(写真がピンぼけですが結構似てると思いませんか? かつフツウのフランス人に似ずブレア首相のようにいつもニコニコ)が、パンの大きな固まりをいつものように半分ではなく丸ごと買ってくれという。うちにはまだパンが残っていて買わなくてもよいぐらいなのだが、毎週の習慣というか、パン屋さんで小麦粉も微妙に違うから「食」のバラエティーの為に日曜はブレアのパンを買うことにしていたのだが、、、何と「今日が最後だ」と宣言され、ええっ! ここの朝市はそんなに儲かりそうもないから違う所へ行くのかと思ったら、去年のテロ以来収益激減、もうパン屋自体を廃業するそうだ。

気さくで良いお兄さんだったし、パンのクオリティーも高かっただけに私は大ショック。人に宣伝してあげてた割にはお客になった隣人はいなさそうだし、私の影響力のなさを嘆くばかり。
「どうするの?」という私の質問に、「今までもいろんな仕事してきたし、何とかなるよ」とやっぱりニコニコと快活、最後までブレアらしく振るまってくれた。

流石に最後ですから、「田舎パン丸々」はいらないもののクロワッサンと食パン大のブリオッシュまで買って私は「一日マリー・アントワネット」になったのでした。

閉店ショックはつい最近「アラブの店」でもあった。 「アラブの店」とは、コンビニのないフランスで夜中まで日曜も開いている「アルジェリア系のおじさんの経営の食品雑貨店」。勿論スーパーに比べて値段は高めだがアトリエ近くの一軒は双子のおじさん兄弟が話し好きで、一品二品の買い物の場合は小店舗保護の為にも努力して(?)利用していたのだが、しばらく留守をしていた間に看板がきれいになりチェーン店みたいな名前がついていると思ったらおじさんの姿は今やなく、若いのが口もきかずスマフォを叩いている。こりゃ駄目だー。こちらの方は、おじさん兄弟の引退ゆえ。

ともかく「朝市」にしても「アラブの店」にしても、黙々として品物を選んでレジでお金を払うというのではなく、たいしたことではなくても「交流・会話」があるのがいいところなのだが、それに何故もっと「付加価値」が見いだされないのか。。。

加えて先日スーパーのレジ、結構可愛い女の子がお客のおばさんに何か言われて、(日本なら自分の問題ではなくても「申し訳ございません」となるところだが)、何と "Je m'en fous"(「関係ねーよ」)というひどい対応をする所を目撃(当然おばさんは怒った)。

パリのスーパー恐るべし(勿論感じのいい人もいますが、、、)

「似てる」といえば11/20記載のレアンドロ君のモンタージュ写真プロジェクトに参加させてもらいました。こんなですが似てるでしょうか?。但しこれはまだ制作過程でのスナップ、最終結果はまた今度。


関連投稿:
  
マリー・アントワネットになった坂田英三 

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2016年11月20日日曜日

ことのはじまり

パリの11月は例年「写真の月」(1980年以来2年ごとだったらしい)ということになっていていたのだが、それが仕切り直しで来年春からになるとかで今年の11月は「写真の月」ではないらしい。だがグラン・パレでパリ・フォトというフェアが開かれていたし、画廊でも写真展が多い。だから幾つもの写真展を見たが、、、今日はお友達の紹介。

友達のレアンドロ・ベラ Leandro Berra (website) が、FBI、仏警察が使う「モンタージュ写真のソフト」を使って有志が自分で作った「自画像写真」をグループ展で展示中。実際のポートレートとモンタージュが並べられて、これでは犯人が捕まりそうもないなぁという印象を受けてしまう結果の連続、人間の記憶の曖昧さが主題だが、実は彼がこのシリーズを始めたきっかけが劇的。レアンドロ君はアルゼンチン人。軍事独裁制下の国に残った友人が拷問を受け殺される前に知り合いを密告、その中に自分が名前が入っていたという事実を2002年に知る。そのことを批難するのではなく、友人の苦しみを想像し、彼のことを良く覚えているという事実を伝える為に20年以上び昔の写真ではなく、記憶を通した「モンタージュ写真」でオマージュを考えたのがこのシリーズの始まりだった。

この他グループ展では、火事で真っ黒になった本棚とかを撮った「火好き」の私にはたまらない作品もあったがこの燃えた家は作家(Judith Baudiner)自身の家だとか。
画廊を入ってすぐのGilles Molinier(web)の幻想的な写真は、桑の紙に印画してそれに裏から光を当てて…と複雑な工程を彼は愛する「木」を撮る為に生み出したとか。

この写真展 "Si photographes ..."(駄洒落で6人展です)はパリ12区の Galerie Univer にて12月24日まで

* * * * *

こちらはもう終わってしまったが*、知り合いでサドマゾ風なエロチック写真を撮るフレデリック・フォントノワ Fréderic Fontenoy (website)の個展もあった。


私が彼の写真が好きなのは鏡の反射や調度品が凝りに凝っているところ。かつ殆どの写真には自分が登場するから気が遠くなる「舞台設定」の仕事なのだが、彼の作品の出発点には自分の祖父がナチの協力者だったという大ショックがある。日頃は硬派の政治ジャーナリストの飛幡祐規さんが彼のことを有料メルマガのROADSIDERS' weekly 2014/11/19号に記事を書いているので、その祖父の人生のくだりを数行引用させてもらうと、、、

「多才で行動的なフォントノワ(注:祖父のこと)は貧しい環境に生まれたが、国の給費を受けて学業に励んだ。共産主義に惹かれて2年間でロシア語をマスターし、トルストイの『ハジ・ムラート』を訳した。1920年代なかば、ジャーナリストとしてモスクワに派遣されたが、そこで反共産主義者になって中国へ行く。上海ではフランス語の新聞を発刊し、蒋介石の顧問になるが、阿片にはまった。1934年、フランスに戻って小説を書き始めるが、1937年にフランスのファシスト党のメンバーになる。第二次大戦中はナチス協力者になり、最後はベルリンに行って、ヒットラーに先立って自殺した・・・」

この波瀾万丈の祖父は、息子(つまりフレデリックの父)が3歳の時、バレリーナだった祖母と別れたが、その祖母は祖母で、人形を使ったシュールで残虐な世界(反ナチズムの意味も持つ)を創り出したハンス・ベルメール(ウィキ)の愛人だったそうで、、、。こういう超ヘビーな、生まれてもいなかった過去を清算するべく、彼は自身をお祖父さんにダブらせて写真の中に登場し、極めてエステティックであると同時に何か可笑しい「エロスへの支配と服従」の劇を演じ続けている。

レアンドロの作品もフェレデリックの作品も昨今の不気味な時代の流れの中で変に現代性を帯びて来たように思えるが、彼らの作品の発端のドラマを知れば知るほど、ますます「私の蝶々はいったい何なのだろう」とその「耐え難き軽さ」に忍ぶ私なのです(前投稿参考)

会場にて上の写真(最後の晩餐?)の前で、飛幡さん、フレデリック君と

後記:フレデリック君の個展は27日(日)まで会期延長だそうです!
L'expo de Frederic Fontenoy est prolongée jusqu'au dimanche 27 novembre.
LE BALLON ROUGE galerie : 10 Rue des Gravilliers 75003 Paris
Du mardi au samedi : de 12h à 19h & Le dimanche : de 15h à 19h

2016年11月8日火曜日

蝶は常に舞い続ける

前々回及び9月の設置時に私の蝶々のインスタレーションを紹介したが、そのタイトルは「蝶は常に舞い続ける」。展示期間が秋だったので「枯れ木に舞い続ける人造の蝶」という皮肉なテーマだったのだが、その仕事に行く前に蝶々のドローイングも幾つも描いた(勿論海水で)。


先日アトリエに見に来る人がいたので整理したら上の写真二点を始め大きなデッサンを8枚も描いていた。その前に2年前に作った俗称「卵シリーズ」(「今日世界は生まれた」)をまたリテイクし、完成度がぐっと高まったのでちょっと方向転換でよりフリースタイルで。これはインスタレーションに合せて(?)という理由にもならない理由から始めたのだが、考えてみると2014年にも素晴らしい小品(右写真)を描いている(単なる自画自賛ではありません。もう「個人蔵」ですので☺)し、もっと昔を振り返るとまだまだ色々出てくる。

という訳で何か因縁がありそうなのだが、子供の頃は青虫には刺されて文字通り痛い思いをしているし、蝶々の身体は生柔らかくて 、よく見るとやはり幼虫を思わせるからあまり好きではない。蝶々で連想することと言えば、ごくフツウにあの煮え切らない話の「蝶々夫人」、学校をさぼってまでも鈴鹿の山に採集に行っていた中学の同級生、いえいえそれよりは初めて見た時驚いた(勿論フィルムで)、19世紀末から20世紀初頭にキャバレー劇場で一世を風靡したロイ・フラー Loïe Fuller(ウィキ)の衣装と照明を組み合わせた「蝶々ダンス」だろう。蝶々ドローイングの胴体は人間だからこれがモデルなのかとも思うが、自分のことながら心もとない。「どうして蝶々なんですか?」ときかれると「神のお告げ」とでも言いたくなるが、これでは現代作家としては失格でして、、、。



私が蝶々の好きなところといえば、風が吹くとフワッと流され、これでどうやって花の蜜を吸いに行くのだろうと不思議に思わせる「いかにも頼りない飛び方」に尽きるだろう。だからガニーの展覧会の天井から吊るした蝶々(右下写真)も人が通ると揺れ、ジロンド河口地方の蝶々も風でフラフラする。まあこの点が結局私の生き様と共通しているのかもしれない。

蝶々のインスタレーションは評判が良いのだが、(1/28)にも書いたように、紙を蛇腹折りにして作るアイデアは母が老人用デイサービスで作ったのを見て流用しているので少なからず居心地の悪いところがある。だってそれを知らないフランス人に明かすと「なんだ〜」ということになって、「雨の絵」や「キス集め」、それに「海水ドローイング」というオリジナル作品群の沽券にかかわってくると思うから。
だが私の危惧に反し、大方の人は初めからそれらも「日本では知られた技術なのだろう」と私の試行錯誤の結果(純然たる発明?)とはつゆ思わない人の方が多くて、、、


以前の関連記事
 不死身の蝶々
出稼ぎがバカンスに

今日はのんびり、昔話
Mon expo à Gagny ガニーでの個展 
ガニーのオープニング 



 

2016年11月6日日曜日

シルク・アンビジーブル(見えないサーカス)

2014/5/19の「チャップリン尽くし、、、」に紹介したチャップリンの娘のヴィクトリアさんとご主人ジャン=バティスト・ティエレの「見えないサーカス」(Le cirque invisible)が今年もシャンゼリゼのロン・ポワン劇場(Théâtre Rond Point)であり(11/15-27)、予告編ビデオを見ていたらまた行きたくなって来た(寸劇的演し物はあまり変わってないような気がするが、、、)。10/24に書いたデュクフレの舞台とは規模が違うけど、遊び心と発明の才にあふれているところは同じ。やっぱり楽しいな〜

今日は只々そのビデオの紹介です。


追記:劇場のプログラムをよく見たら12月は彼らの息子の、私がイチオシのジェームズ・ティエレの新しい劇(?)がかかっている。まさに「チャップリン尽くし」です。


参考投稿
チャップリン尽くし 親から子、子から孫へ、、、(2014/5/19)
ジェームズ・ティエレのラウル(2014/7/27)
愛知トリエンナーレとの遭遇(2016/10/24)

2016年10月29日土曜日

不死身の蝶々

J'ai a reçu des belles photos des papillons que j'avais réalisés au mois de septembre au Port Maubert dans le cadre des "Sentiers des Arts "  (de l'Estuaire  de la Gironde). J'en présente ici quelques-unes de ces photos prises par Monsieur Gérard Manuel. Par ailleurs les papillons sont encore là-bas jusqu'au 2 novembre.

Par ailleurs, au bas de l'article, je publie le discours d'inauguration que j'avais préparé mais je n'ai pas eu d'occasion à faire :)

9月に行ったジロンド河口の小さな漁港ポール・モベールに作ったジュースパック製の蝶々のきれいな写真をマニュエルさんという方が送って下さったのでここで紹介。野外展覧会は11月2日まで開催中。蝶々は場所を変えて今後も保存されるという話もあります。乞うご期待

 


Puis voici un beau portrait de l'artiste au travail pris par Monsieur Alexandre Garcia. 
そしてこれはガルシアさんが上手に撮ってくれた仕事中のポートレイト


以前の関連投稿
3 articles précédents concernant à ce sujet :


Appendice : Discours d'inauguration 
 
Je suis venu observer un phénomène exceptionnel qui se passe actuellement au Port Maubert: un rassemblement de papillons urbains.



Probablement vous connaissez très peu sur les papillons urbains, même si vous habitez dans une grande ville, parce qu’ils savent bien se dissimuler dans l’environnement en évoluant les motifs des ailes similaires aux divers packagings alimentaires.  Ainsi ils vivent souvent dans les décharges, et ils savent se cacher même dans les grands magasins, où ils se mue sans être remarqués par personnes. En fait il y a encore plein de mystère dans leur vie.



Les certaines familles comme morpho tropicana habitent partout dans les grandes surfaces, les autres préfèrent un enseigne précis comme Morpho cuadrifurcus.



Ce qui distingue clairement ces papillons urbains des autres, c’est l’envers de l’aile. Contrairement au face qui est multicolore et a des divers motifs, l’envers est en couleur unique : blanc, brun ou argent, d'où secrète l’hormone d’odeur fruitée ou lactée.



Parmi les papillons rassemblés au Port Maubert, j’ai même observé les papillons d’origine étrangère, une dizaine d’Autriche et trois du Japon ! J’ai trouvé une espèce rarissime comme Morpho Avocas !!



Mais pourquoi ce phénomène, cette folie de ces papillons qui se sont échappé de leur environnement habituel au risque de la vie ? Et qu’est ce qu’ils vont y faire ? Un grand croisement des espèces pour leur survie ? Ou un suicide collectif ??



Certainement la chaleur tardive et forte de cet été aura un rapport avec … Mais il sera plus raisonnable de supposer que ce phénomène est lié au dérèglement non seulement de cette année mais aussi au celui de plus long terme ; un réchauffement du climat généralisé.     

2016年10月24日月曜日

愛知トリエンナーレとの遭遇

今年の秋は愛知県では3年ごとのトリエンナーレが開かれていた(昨日10/23まで)。今回は特に舞台芸術に力が入れられ、パリで毎年見られる有名アーティストにはまだ良い場所の残席があるのでびっくりして、全く知らないグループはパリに来るかどうかわからないのでという理由から、結局ついつい幾つも見てしまった。 

その中で一番新鮮な驚きがあったのはチェコのダンスグループのヴェルテダンス(VerTeDance) の"CORRECTION"。舞台にダンサー(確か7人)が並んで立っているのだが、彼らの靴は舞台に固定されている。つまりステップのないダンス。波が伝わるようなしなやかで「現代ダンス」的な身体の揺れに始まり、それが徐々にばたりと後ろや前に倒れたりと私には一度たりともできぬアスレティックな大変な筋肉運動を伴う動きに変わって行く。列になったダンサーは互いに共感しあったり、連帯するかと思えば争いあったり、狭い視野の「村社会」を表わしているような、、、。私は最後には皆靴を脱ぐことだろうと思っていたのだが、見事に裏切られた。メンバーの一人が「束縛は靴、これを脱ごう」と気付いたのだが他の全員がそれに反対(勿論これは無言劇)。そして文字通りの足枷のままディスコで狂乱して踊るような光景で終わる。コミカルかつ劇的、流石にカフカや「兵士ツヴェイク」(ウィキ)という不条理な確固たる世界批判を生んだ国のカンパニーだけのことはある。クラリネットの楽団が生でミニマルな音楽を伴奏することも魅力。参考にはこのビデオですが 、もう一つです。彼らのサイトにもビデオがあるのだけど、これは普通というか凡庸で舞台のすごさが全然出ていない。この為にKさんの推薦にもかかわらず見ようか見まいか迷ったぐらいだったのだが、見て良かった! でもCORRECTION、修正というのはどういうことなのかな? 私の読みが全然違うのか?

 

生演奏と言えばいつものようにしゃれた幻想世界を創り出すフィリップ・デュクフレの「コンタクト」はダンスというより見事にミュージカルの観を呈していた。主題がファウストなのにあの軽さと美的なメリハリの良さはまさに「おフランス」、何とも言えませんね〜。ヴェルテダンスのビデオとは違いデュクフレはこの手のプロですから、トリエンナーレ用の次の楽しい宣伝クリップを見ても行きたくなりそうなものだけど、1週間前に舞台から数列目の良い席がまだ残っていて(それで即購入)、、、当日の入りももう一つというフランスに住む私には驚くべき状況。デュクフレは30歳の若さでフランスの1992年の冬季オリンピックの開会式を担当して一躍有名になった(若い人はこの驚くべきイベントを知らないでしょうが、youtubeでも色々見られますのでご参考に)。でも愛知県ではいまいち知名度がないらしくて、、、これを思うと私の個展に人が来ないなんてのは当たり前ですな〜。それは兎も角、メンバーのほぼ全員がダンスに歌、曲芸をこなすのはすごい!



それに私がブログで一昨年の夏に書いた現代フラメンコのイスラエル・ガルバンの「ソロ」もあった。素晴らしかったけれど、これはパリの方が良かった。理由は簡単、劇場バックが黒で、黒い衣装だったから。関係者の人たちは翼側に座っていたようなのでそれをあまり感じなかったのかもしれないが、これでは彼の細かな手足と動きがよく見えない。もったいない。。。

豊橋の公園ではアニマル・レリジョン Animal Religion というバルセロナのサーカスグループの野外公演があった。これは全く知らないがバルセロナだからバイオレントにやってくれるだろうという期待から。というのも80年代にバルセロナの La Fura dels Baus(ウィキ)の公演を見て服は濡れ埃まみれになった新鮮な想い出があるから(正直事故が起らないか不思議だった)。アニマルさんはそれなりに暴れて、巻き込まれた観客を喜こばしていたけれど、ひょっとしたら日本だから手加減したかも。

豊橋ではついでに吊られた石を口笛(息)を吹きかけて動かす結構可笑しなパーフォーマンスも見て、、、(これは私の横に座った子供と私以外の人は、何十億年もの石の記憶を呼び起こすという「現代アート」らしい自惚れた解説をマトモに信じたかの様に難しそうな顔をしていた)

それに何の因縁か、名古屋市美術館に行ったらフランスのモンペリエのカンパニー・ディディエ・テロンというグループのプクプクふくれた衣装を着たダンサーたちがビデオ用の撮影をしていて、居合わせた若者とダンスバトルなどして可笑しかった。

私には僅か1週間のうちにこんなに様々で、質の高いものに「遭遇」できて幸運だった! (「遭遇」というのは日程をその為に合せたわけでもなく 、諸事情から母の一回忌が遅れ、歯痛で遠地への「温泉旅行」もする気がしなくなったから。舞台が面白いときは歯痛も忘れハッピーでした)


この素晴らしい舞台芸術のセレクションに対し、トリエンナーレの「国際造形美術」の方は(半分ぐらいしか見ていませんが)つまらなかった。 「旅」というテーマのために、悪いロードムービのようなビジュアルなインパクトが欠如した、方法論的な饒舌さが目立ち(それが目的と言われればそれまでですが)、かつパリではあまり見れないと期待していた第三世界のアーティストたちも先進国の現代アートの様式を真似るばかりで、、、。印象に残ったのは??? ムッソリーニが倒れてイタリアが敵国となり豊田の寺に強制収容されたイタリア人の写真家にして民族学者マライーニの家族の話ぐらいかなぁ(これはアートでなくドキュメンタリー部門)。そうそう、豊橋の鏡面時計のインスタレーション(久門剛史)はきれいだった。

私の友達は「現代アートが好きな人がなくなっちゃう」と嘆いていたが、これほどだと「劇場」への入りにも影響したかも知れない。6年前に見た第一回目は面白かったのだけれど、今回はともかく大いに落胆。

そして最後の絞めはトリエンナーレではなく、四半世紀経ようとする今でも心に残る懐かしのデュクフレのオリンピックの開会式で♫(若い人たちに見てもらいたいので)





付録:スパイラルホールのサイトからの抜粋: 
ヴェルテダンス VerteDance
チェコ共和国を代表するダンスカンパニーヴェルテダンスは、ダンサー・振付家のヴェロニカ・クニトロヴァー、 テレザ・オンドロヴァーと照明デザイナーのパヴェル・コテリークの3人によって2004年に創設。これまでに約20のプロジェクトを製作。チェコおよび世 界のダンスシーンにおける多くの著名なアーティストたちとの共同作業を行ってきた。チェコのダンスの分野で最も名誉ある賞、ダンス・ピース・オブ・ザ・イ ヤーを3度も受賞した国内では唯一のカンパニーである。

2016年10月23日日曜日

カキカキカキ

Je recommence la vie parisienne d'une bonne manière, d'une part à cause du mal aux dents. Par ailleurs on appelle des huitres "kaki" en japonais. 

昨晩パリに戻った。前回は洪水とストだったが、今回も郊外線が(事故の為とか?)正常運転していなくてプラットフォームに人があふれていて疲れた〜。

でもパリも「住めば都」、住まない人にはもっと「都」だろうが、、、 その「都暮らし」再開の気分高揚にと、朝市に行って一番良い生牡蠣を買って昼食にした。勿論白ワインで贅沢に(笑)。
八百屋でカボチャも買ったのでその後は「冬らしくスープかなァ」と思っていたが面倒くさくなってハンバーグにした。

実はこのメニュー、何のことはない、「あまり噛まずにすむ」から。というのは日本滞在中に歯が痛くなって眠りも妨げられ、、、結局知り合いの歯医者さんに診てもらったところ歯周病とのこと。細かく丹念な歯ブラシに勤め、激痛はひいたものの、今も進んで硬いものを食べる気はしないのだ。

牡蠣の後ろに写っているのは実家の庭になっていた柿。誰も世話をしないのに草木は育ち花咲き、実が沢山なるのは不思議を越えて奇跡のような感じがする。勿論こんな「生柿」を持ち運ぶのは禁止されているはずで、空港出口に普段はいない税関が人を止めて調べていたのでちょっとどぎまぎ。怪しい長髪ゆえかノーチェックで無事にパスしました(笑)。

歯痛の所為もあり大旅行の気は失せ、今回の滞在は「近場のアート鑑賞」といういつもにないパターンになりましたが、このことはまた今度書きましょう。

追記:日本の先生によれば、パリのF先生に「ストレス一杯の私」と勘ぐられた歯の無数のヒビは、西洋人に比べて歯が丈夫でない日本人には当たり前のことらしいのです。人類の坩堝のパリの先生の方がこういう比較人類学的見地を欠くというのはどういうことだろう? ただ臨床例の少ない少数派民族の事象と切られてしまえばそれまでの話で、、、。というように「移民」が「一般市民」となるのは大変なことなのです。(ちょっと話が飛んだかしら?)