2014年12月12日金曜日

補遺:ハイチ近代絵画史

Hector Hyppoliteの作品例
前回書いたハイチの展覧会、副題が「2世紀のクリエーション」というわりには歴史順でなく、今日流行の「テーマ(コンセプト?)別」展示で余計わかり難い。前回のリンクの写真にもあるジャコメッティvsエジプトのミイラなら地理的にも時間的にも遠いので混乱はしないけど、ハイチの2世紀の美術では、、、残念ながらハイチのイメージは普通、「地震」「貧困」「独裁政治」ですからね〜。

というわけで前回の補足として、展覧会の小パンフレット*にもない簡単なハイチ絵画史を:

ハイチはかつてフランス植民地、だから金持ちプランターは仏絵画を買ったり、召使い(奴隷)をフランスへ絵画を勉強させに遣ったりしていた。1804年に独立(世界初の黒人共和国)、16年には首都ポール・オ・プランスにフランス絵画を教授する美術学校が創立。展覧会でも画題が、民俗的日常生活、呪術的なものばかりでなく古典的肖像画にまで及ぶのはこういう背景がある。

どんと飛んで第二次大戦後の44年、アメリカ人のDewitt Petersが絵画学校を開いたのだが、街で目にするナイーブ絵画に興味を持ち、そうした教育のない画家たちも学校に受け入れ、画材を与えて彼らの才能を開花させた。これがハイチ素朴派の始まり。

この中にはた Hector Hyppolite もいたが、彼の絵は43、45年に旅行に来たシュールレアリスとの領袖アンドレ・ブルトンの眼に止まり、彼をフランスに紹介した。

Robert Saint-Briceの作品例
こうしてますます注目されるようになったハイチ素朴派、50年代にはニューヨーク現代美術館が作品購入、これが火をつけ60年代には買い漁られることになった。

この商業化(商売絵)への反動として、ヴードゥー教的ルーツに戻ろうとする運動がポール・オ・プランスの近郊のPétionvilleにコミニテイーを作ったサン・ソレイユ(Saint Soleil)グループ。75年にアンドレ・マルローがここを訪れ、Robert Saint-Briceなどの作品を絶賛し、著書 L'Intemporel に記述した。

実はハイチとアートでグーグルすると本当にコマーシャルとしか言えない絵のサイト出てくる。 こういう誤解を避けることもあり、前回の記事を受け入り知識で補足しました

注:写真の2点の作品はインターネットより。展覧会の作品ではありません。(へへっ、ちょっと僕の絵に似てますね〜)

*パンフレットにはブルトンの名もマルローの名もありません。これって意図的なんだろうな〜



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