2021年3月11日木曜日

10年経って (福島ープロヴァンス)

 10年前、ニースでの展覧会の展示の帰りにエクサン・プロヴァンスの知人宅にお邪魔、3月11日の朝、知り合いが寝ぼけ眼の私に「日本で大地震があったらしいよ」と言って出かけた(地震発生はフランス時間の6時台)。「地震はよくあるし、、、」と思いつつも、その後昼前に南リュベロンの有機農場の知り合いのところに着き、彼らはテレビニュースを見る人たちでないしランチタイムなのだが、「ちょっと気になるから」と見せてもらうことにし、スイッチを入れて現れたのはかつてみたこともない、津波が全てを飲み込んでいくヘリからの映像だった。

そして今日、同じ場所ではないが、私はまたのんびりとプロヴァンスにいる。

今朝はカフェに行って「地方新聞にはどんなことが書かれているのだろう?」と丹念に紙面を見たのだが、福島のふの字もなかった!これにはちょっと驚いた:原発の立ち並ぶローヌ河に近いだけのことはある? 

何がメインの記事だったかというと「テロリズムの犠牲者」。2004年のマドリッドのテロが3月11日で、 ヨーロッパではこの日が「犠牲者追悼の日」となり、今日はマルセイユのサンシャルル駅でセレモニーがあるとのこと。ここで2017年10月に若い二人の女性が刺されて亡くなったという事件があったからだが、私には「そんなことあったかなー?」とほぼ記憶にない。次元の違いはあれ、関係のない人には忘れられる。あとはプロヴァンスの山地に狼が戻って来たという話も見開き2面:私には見事に関係ないので眺めただけ。

ま、フランスの地方新聞ってのはこんなもんです(別に「福島10年後」のニュースを見たい人は全国紙を見れば良いのだから)*

パリで集会などを組織されている皆さんには「頭数だけの応援」もできなくて申し訳ないが、「夕方6時からの戒厳令」が引き続き、頭の調子(これは私の診断)も心臓もおかしい(これは医者の診断に行った時だけ血圧が異常に高い!)ので田舎に避難させてもらっている。

第一弾の避難先は知り合いの田舎Sさんの家だったのだが、2月末にお世話になり始めた早々、急に南仏のP君より電話があり「3月空いていないか?」との質問。「アメリカの財団のアーティスト・レジデンスが招聘作家がコロナの所為でフランスに来れないのでピンチヒッターになりえうる」というのだ。3月は延び延びになっているグループ展があるかもしれないし、医者にも行かねばならないし、折角田舎に来たばかりなのに〜なんて考えてると、P君が「こんな贅沢な話は滅多にない、俺ならすぐ行く」というわけで私も即決定。というのも今まで嘗てP君の持って来た話で悪い話はないのだ(笑)

ロワール地方のSさん宅からパリに帰り、至急「伸び伸びグループ展」用の作品を梱包して運び(「こんな時期にやるなんて気が変じゃないか?」と私だけ以前から反対している。展示は勝手にやってもらう。今のところ「歌う牛」パーフォーマンスの予定はなし)、3日後の朝にはアヴィニョン行きTGVに乗ってやって来たのは名高き「何とかさんの家」なのだが、ここが何処かはまだFBで謎かけをしているのでまた次回に。 FBでは私のドローイングよりその方が断然人気があるし(笑)

私の部屋から。今日は曇りがちなのに「お山」はよく見える
 

さて、最初の話題に戻ると、地震のないフランスで「福島」を通して原発反対を唱えるのはそれゆえに難しい面がある。しかし一方、放射性廃棄物(廃炉も含め)をまともに処理できない以上、二酸化炭素とおなじく「将来に負の遺産を残してはいけない」という論理では同じことと私は思うのだが、現実には二酸化炭素削減が原発の追い風になっているのはご承知の通り。

 

* 後記:全国版夜8時のニュースはどんな扱いだろうとわざわざ見たのだが、ずーッとコロナで待つこと27分、でも福島に関連して仏原発の補助電源に関してだった。。。

 

以下FB掲載の写真:私の部屋からの景色と私の仮の住まい。私のFBは一般公開しているので下のリンクから他の写真も見てもらえます:https://www.facebook.com/eizo.sakata

 

Vue de ma chambre !

Publiée par Eizo Sakata sur Dimanche 7 mars 2021

 

C'est là en haut où je demeure.

Publiée par Eizo Sakata sur Samedi 6 mars 2021

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