ヴィアラは「カンバスや木枠」という絵画の伝統的基本的媒体(support)を問題視する運動のフランスのシュポール/シュルファスSupport/ Surface(現代美術用語辞典) の一員、空豆型のモチーフを色々な布地に繰り返しぶら下げるスタイルでおそらくこのグループの作家では一番のスター。今回は「新作」ということで、画廊の解説では「グラフィティーや宣伝で覆われた布に作家独自のリピートするモチーフで目もくらむような冒険をしている」とあるが、「いつもと(つまり70年以来)おんなじやー」。まあそうはいってもこういうのは「ポップアートの子供」である私には快感なきにしもあらずなのだが、オープニングにちゃんといたご本人、椅子からやっとこさ立ち上がるご老体なのだ(36年生)。弟子に制作全部やらせていることはありあり。最近見なかったヴィアラさん、またまたの「なつかし路線」だったが、とても悲しい気分になった(ベンもそうだが、それは彼らが歳をとったという事実故ではなく、作品が40数年来繰り返しという事実から。もうやめてもいいんじゃない?意外に貧乏なのかしら??あるいは画廊にそそのかされ??? あるいはベンの言う通り作家のエゴ????) 本当に作家に発展がなかったかは画像検索すれば色々出てきますからご自分で検討してください。
この寂しい気分を何とか盛り上げられないかと、画廊からすぐ近くの、ポンピドーで「決定的瞬間」の写真家、カルチエ=ブレッソン(ウィキ)を混んでいても見ることにした。意気消沈していたからか、「世紀の目」と評された大天才のカルチエ=ブレッソン、その大回顧展となると意外にたいしたことのない写真も多く(有名なのは皆知っているからか)、、、 私が一番目を引いたのは普通のプリントではなく、古い新聞写真が額装されていた「孤児の謎」(Le mystère des enfants perdus) というシリーズ。子供達の表情が豊かで、シリーズ(多分一月分30枚?)すべてばっちり、「おおやっぱりすごい」と思い直し、気分上昇。
実はこの1937年の新聞記事、「孤児」などというのは真っ赤な嘘、普通の町の子供をカルチエ=ブレッソンが撮って、親が名乗り出たら賞金をあげるというス・ソワール紙(Ce Soir)の宣伝だったということ。それを後で知ってますます気に入ったことは言うまでもない。この「孤児達」は滅多に見られないものらしく、ウェブを検索しても出て来なかった。だからピンぼけですが会場写真を掲載。
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