2015年3月23日月曜日

インドの土着アート展

ジャンガル・シンの作品
土曜日の夕方、画廊ライブラリで開かれている「インドの土着アート」の話を聞きに行った。インドの田舎の村では、壁や地面に多くは女性が、祈りや儀式的な意味の絵を伝統的に描いていたが、80年代に中央部のBhopalという町に現代アート美術館ができ、そこで「生きた美術」、地方の種族で受け継がれているアートも紹介することなり、センターを作ってキャンバスや紙上に絵を描く指導をした。そこで発掘された「スター」が 自分の家を見事な壁画で飾っていたジャンガル・シン Jangarh Singh Shyam(当時17歳)、いつも引き合いに出す89年のパリの「大地の魔術師たち」展参考投稿にも招かれ一躍世界的にも注目されるようになった。だがその彼が日本のホテルで自殺したことは去年のカルチエ財団の美術展の投稿に書いた。
ジャンガル・シンは成功後、絵の学校を作り家族、後輩を助け、近代化で消えつつあった土着文化復興の立役者である(特に口承文化を絵画化した)など、土曜の講演でも彼のことが話され、その悲劇的最期も言及された。

講演の後に講演者夫人に「自殺の仔細知りませんか?」と尋ねたら 「貴男、聴いていなかったの?それ以上話すことはない」と排斥された。確かに私の質問はぶっきらぼう、こういうときやっぱり「話し方を知らないな」と自ら思う。ゴッホの絵の専門家に「どうして耳を切ったのでしょう?」とつきまとうと疎まれるだろう。しかしだ、、、

お話では:1)日本の美術館がパスポートを預かった(取り上げた?) 2)通訳がいなかった 3)鬱病だった
ということだが、当時既に有名だった彼に対する日本の美術館の「おもてなし」として1、2はまさに異常な事態ではないか。そしてカラフルで力強い神話的世界を描く民俗絵画のスターが何故鬱病だったのだろうか? それに鬱だからといって首つり自殺には常に至らないだろう。私にはここに「土着アートの振興」に係わる避けられない問題を孕んでいるように感じるのだが、、、。
私がネットで見つけた比較的詳しい英語の某記事では「アートは彼をインド奥地の赤貧生活から助けたが、彼には理解不能だった搾取の手に露呈させた」と締めくくっていた。

私は誰も糾弾する意図はない。何しろ何が起きたかが判断できるような資料が全くないのだ。特に日本語では、簡単な検索では皆無。「そんなこと詮索しても誰の利益にもならないでしょう」と言われているような沈黙。

自殺事件とは関係なく、事件の起きた新潟県のミティラー美術館のコレクションは素晴らしそうで、私は帰国の折りに是非一度行ってみたいとも思っている。でも例の質問をしたら追い出されるかも。

そして この美術館ほどすばらしくないかもしれないが、Vernacular India 2015と題されて以下の様に今パリの3カ所で美術展が開かれています参考サイト

Galerie Anders hus, 27 rue Charlot, Paris 3 :
12 mars au 18 Avril 2015 - mardi au vendredi 14h à 19h, samedi 11h à 19h

Espace Beaurepaire, 28 rue Beaurepaire, Paris 10 :
23 au 29 mars 2015 - mardi au dimanche 10h à 20h

Galerie Impression, 17 rue Meslay, Paris 3:
11 mars au 4 avril 2015 - mercredi 18h à 20h, samedi 14h à 20h

1 件のコメント:

  1. 自殺と言えば、私もたまたま「フォーククルセダーズの加藤和彦が何故自殺しなければならなかったのか?」という話をトークショーの形でメンバーのきたやまおさむの口から語られるのを聞く機会がありました。
    フォークソングというのが民衆の一人一人が自分の歌いたい歌を自分の心を自分の声で表現するものだったはずなのに、彼は知らない間にマスコミという見えない魔物に飲み込まれてしまったのでは、というものでした。
    土着アートの振興とは意味が少し違うかもしれませんが、”マス”という世界での成功は”魂を売る”という面もあるのかも。

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