2018年7月24日火曜日

マルセイエーズのコペルニクス的転回

子供の頃オリンピックの表彰式などを見ながら、フランスの国歌は勇ましくていいなあと思ったものである。特に我が世代にはビートルズの「愛こそすべて」のイントロに使われて一層その「カッコヨサ」に磨きがかかった。極東の青少年が歌いたくなるぐらいだからラ・マルセイエーズは名曲である。

しかしフランス語が全く解らなかった頃は良かったのだけれど、原文の単語が解釈できるようになると、あれまあ、こんな歌詞を平気で人前で(特に外国人の前で)、、、と唖然とするようになった。おそらくフランス人は子供の頃から歌っているので、歌詞は音となってほとんど意味を持たなくなった一種の意気高揚する「わらべ歌」で、逆にそういう風にマルセイエーズが身にしみ込んだ人たちをフランス人と定義できるのではないかということをパリの連続テロ事件の当時に書いた(掲載記事)

ワールドカップの優勝騒ぎの三色旗とマルセイエーズの嵐の中 * でまたそんなことを考えていたら「いやいやエイゾウ君、貴男は誤解しているのですよ」と諭される、素晴らしい名解釈があることをフランスTVのドキュメンタリー番組で知った。

一番問題になるリフレイン:
「 進もう 進もう! 汚れた血が 我らの畑の畝を満たすまで!」

汚れた血、原語で sang impur =ピュアでない血を、私は文字通りフランス革命を潰しに来るパプスブルグ・オーストリアなどの外国軍の血と解釈していたのだが、「いえいえ、その頃ピュアな血と言えば貴族の血で、ピュアでない血は人民の血、つまりこれはフランス人の人民部隊の血で、祖国の犠牲になることをいとわないと歌ったものです」というのだ。

いやーこれなら意味を思いつつ胸を張って歌えるけれど、この「転回」はあまりにも美しすぎるのでは? 
ドキュメンタリーでも歴史学者は賛同しないと言っていたが、意外に流布されていて、番組では小学校でそう教える先生が紹介され、著名人、例えば元大統領候補のセゴレン・ロワイヤル女史がそう断言するインタビューがあった。

今ソース確認と調べたのだが、このドキュメンタリー番組が出て来ない。私の夢想???いえいえ、いくら私がセゴレン女史を信用しないとはいえ、こんな論理的な夢を見る筈はない。多分賞味期限(?)が過ぎたのか…と自信がなくなって来たが、この解釈は確かに存在し、仏語ウィキによると2003年のFrédéric Dufourg著"La Marseillaise"に書かれている説で、歴史学者が「かくなる解釈はあり得ない」とする仏革命当時の文章の例も載っていた。(ウィキを全面的に信用するのもなんだが、常識的にそうでないかと私は思う)

しかし私はこのように、今までの異国人を侮辱すると思われる暴力的歌詞を「祖国愛」に変えた逆転の発想に少なからず感心してしまった。いい加減な私は、歌詞を替えたりするのも面倒だからこういう解釈で納得しても良いと思うのだが、それはあくまでも「都合の良い解釈」と皆がガッテンしてのことで、勝手な歴史解釈はポジティブだろうがネガティブだろうが「歴史修正主義」にあたるはず。そう念を押したくなるのは、どうも新解釈派は「おぞましい歌詞」と思う人々を「無知」と非難し、それがネットを通して一層「正論」として流布されているようだからだ。 Dufourgの本も文庫になっている。う〜む。


国歌と言えば印象に残ったのがウルグアイの国歌。歌詞を調べると「自由か栄光ある死か」などとこれもなかなか威勢が良いのだが、曲調が血気上がるというよりまるで「歌劇の序曲」という感じで楽しくなる。だからやっぱり仏チームに負けちゃった(笑)

コーラスなしの短いオーケストラバージョンでお楽しみください



* 追記:フランスチームはエリゼー宮の帰還パーティーに着くと急にラ・マルセイエーズを歌い出した。その音痴ぶり(というか各人他人に構わず自分のキーで歌い通す)が好感を抱かせるほどあまりにもすごかったので、お耳汚しに。笑えます

 


Dragon Ball ならぬ Macron Ball !
 もう一つお笑いはこの写真。
「マクロンには負けるわ」と、この見事なプロの宣伝写真に私はこれまた感心したのだが、意外に世論調査での支持率は変わらなかった。フランス人は私が思うより大人なのか?ちょっと安心。
ワールドカップはもう書かない筈だったけどしっかり「続き」になってしまった〜。失礼しました。


マルセイエーズ 過去の関連投稿 

 2015年の1月の3連続投稿

1/13 流れるべきはインク
1/14(歴史的日曜の後に思う)フランス人とは何か
1/15 テロなんて怖くない!(勇気を下さい)
 
同年12月にはセゴレンロワイヤルがマリアンヌになったすごい写真付きは投稿もありました

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