アートだけではありません。40年以上も住んでしまったパリから、役立つ展覧会案内、アトリエの日常生活、旅日記、それにフランスの政治社会問題など、色々とりあげる、美術作家、坂田英三の正直な主観的ブログです。 C'est un blog d'Eizo SAKATA, un artiste-plasticien japonais de Paris. Les articles sont quelquefois écrits avec son français : cliquez "bilingue" sur la colonne de droite.
2024年2月5日月曜日
マクロン政府のマキャヴェリズム
2024年1月25日木曜日
マーク・ロスコ展に思う
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| シュール時代の作品1946 |
| 細部 |
インスタほぼ同じ写真ですが
2024年1月15日月曜日
謹賀新年、十人十色というけれど、、、(ニコラ・ド・スタール展など)
皆様あけましておめでとうございます。あまりこのブログの筆が進まなくなりましたが時々書きますので今年もよろしくお願いいたします。でもこれを全部読むと下に触れるように「もう読まん」って人がでてきそうだが。
さて、この正月、新年早々よく寝られて暁を覚えず(といっても年末年始のパリの日の出は8時半〜9時過ぎだから当たり前)、それどころかはどうみてもよく寝られる。多分その理由は新年早々「健康マットレス」をやめてみたのだ!
愛知県の実家には極薄煎餅布団しかなく、よく寝られないはずだったが、11月に戻ったときは意外によく寝られた。それがパリに戻ってからはまた、、、、(時差とか寒さとかいろいろ原因はあるが)。考えてみると5月にブルターニュに行った時も(これは元ホテルの最高(?)寝室に寝させてもらったので「さもありなん」だったが)(参考掲載)、9月に南仏に行った時も自宅にいるよりよっぽどよく寝れた。というわけでその頃からちょっと疑問に思い始めていたのが、有名スポーツ選手とかが競技会に遠征する時にも持って行くとかいう「健康マットレス」で 、知り合いに「熟睡できるから是非ぜひ」と推薦され、丁度JALだったので普通より大きな荷物が運べるので絶好のチャンスと昨年春日本に戻っているときに買って帰った来たその「健康マットレス」、なんかよく寝られないのはそれからなのだ。
でも浅田真央も知り合い達も保証の快眠マットレス、世の中で評判のようだから疑ってはいけないと自分に思い込ませていたのだが、自分の身体に聞いてみた結果、推薦してくださった方には悪いけど、かつメーカーにクレームするわけではないが、身体も人それぞれ?、一般の健康的な身体と精神の人に良いとされるものが、私のようなひねくれ者にも良いと思い込むのは大きな過ちだったようだ。
話は変わって秋依頼断然の人気のニコラ・ド・スタール Nicolas de Staël の回顧展。私はかつてから彼をそんなに大した作家ではないと思っているので敬遠していたのだが、あまりにも多くの人に推薦されてそうも行かなくなり(?)、彼に興味がなかっただけに知らない作品も沢山あるからと行ってみたのだが、「やっぱり」と自分の思いを再確認した。だから感想を聞かれるともはや「これを言ってはおしまい」の状況にある。確かに昔アンティーブのピカソ美術館のピアノとコントラバスの赤黄黒の鮮明な色の幅6mもの大作「コンサート」を見たときはその素晴らしさに彼へのネガティブだった評価を考え直したものだったが、これは未完成で(自殺したので)、多分描き進めたらベタベタパレットナイフで色を重ねて「私の嫌いなもの」になってしまったのではと思う。今回の展覧会でも同じく明るい色彩の大胆な簡潔な構成で、サイトの写真を見ると「おおっ」と思うものも数あったのだが、実際に見るとやっぱりベタベタと塗り重ねていて、なんでもっとすっきり決めないのか不思議。実は私が趣味で絵を始めた頃の教則本や日本の多くの先生達は油絵はナイフで絵具を重ねることで味わいを出すものと思っていて、展覧会に行くとそういう絵がいっぱいあって閉口したものだ(ちなみにスタールは1914-1955)。だから私にはその古臭さにとても抵抗がある。それにねー、風景画のタイトルで、例えばドラ・マールの家のあったメネルブ村(参考掲載)(スタールはこの村に家を買った)とかパリ近郊の街のジャンティイのように一時期滞在してよく知っている地名も出てくるのだけど、描かれた抽象化された風景画が全然その地を感じさせないってのは致命的としか私には言いようがない。
こんなことを正直にいうと「お前から買った作品を返す」という人もでてきたほどで、(まっ、金返せと言われないならそれでも問題ない?ってことはないです。私の芸術家としての資質を問われてしまってるので)つまり大変なんです😅。
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| 遠目はいいんですけど |
| 近づくと左官の塗り試しみたいで |
花の息吹をセメントで塞いだようではないか、なぜ?
十人十色とはいうけど、世の中十人の九人は同じ趣味で絶対的自信を持っていてそれを押し付けられると、そこから外れた人間は身体も精神も苦労する。本当に世の中十人十色だったらよかったのだけど。
概してフランスは日本より十人十色感は強く息がしやすい。12月に戻った当初「やっぱりパリは自由の空気が漂っているな〜」と大きく息していたら、十人十色でマスクせずのゴホンゴホンしている人が多く、メトロ、バスで多く風邪のウィルスもたくさん吸ってしまい、年末は大晦日前日まで風邪が抜けず低調だったけど、新年になって寝床を変えていたって元気です(笑)
というわけで「健康マットレス」邪魔なのでお譲りしますが、私何ヶ月も使ったマットレス欲しい人なんているわけないよな〜、絵でも描くか?(そうすると余計もらい手がなくなるのは明白)
結局私は絵でも人でも「これでもか、これでもか」と厚塗りしてくる人は嫌いです。もう嫌われついでに告白してしまうとゴッホのチューブからそのまま出したような厚塗りも昔のケーキのバタークリームを思い出してかなり苦手(薄緑とかピンクでそんな色してます)。でも今オルセー美術館でやってる「オヴェールのゴッホ、最後の数ヶ月」は見た方がいい😅 (2月4日まで)バタークリームも何もそのエネルギーに圧倒される。それはポンピドーのピカソのデッサン展でも全く同じ(これは会期今日まで!)。今更ゴッホ、今更ピカソとも思ったけど、そうは問屋が下さなかった。巨匠達の尽きることなく溢れ出るパワーは圧巻です。
2023年11月24日金曜日
荒川さんの「養老天命反転地」
ところで皆さん荒川修作ってご存知だろうか?
昔の作品同様理解できないのは同じとしても、傾いた床の迷路のような建造物の中を歩くとドイツ表現主義の無声映画「カリガリ博士」(ウィキ)にでもなった気がしてくる。歪んで奇怪、でもベッドとか冷蔵庫とか実際の調度品が壁に飲み込まれては透過し、天井にはテーブルがある反転世界というシュールな滑稽な愉快さがあり楽しめる。建造物は95年の開園以来そのままで崩壊しないか心配にならないでもないが、それもまたよし。逆に手入れのされた屋外公園は「不安定感」をキープしつつもなごめる空間になっている。今更ウィキを見てみると、私が食わず嫌いになった60年代後半から荒川修作も随分「進化」したらしい。といっても彼の理論を紐解こうとは思いませんが(絶対私には難しすぎる=煮ても焼いても食えんには変わりないので)
下の白黒写真は家を整理して出てきた(で即整理の対象となった)現代美術展のカタログにあった彼の作品の写真。 ほんとにね〜
公園でもどんぐりコロコロしそうになります
参考
荒川修作のウィキ
養老天命反転地のウィキ
2023年10月25日水曜日
プレゼの上手のダニエル・ビュラン
いつもはお役所のPalais d'Ienaで、10月29日まで (アートフェアのおまけで超大手の画廊がスポンサー)
すぐ行って見たくなるような美しい写真を見たい方は美術雑誌のこのページでもご参考に
私の聞いたラジオインタビューはこれ
ビュラン先生のことは旧ブログで何度も書いていたが、例えばグランパレのダニエル・ビュラン(今読んだらほとんど同じこと書いていて失笑)
ピストレットさんはよく分からないのだけど2013年に何度か連続掲載してます(もしくは右の欄でブログ内検索してください)
2023年10月16日月曜日
フランソワ・シェニョー&エメリック・エノーの生のパワー
2023年10月9日月曜日
自由な82歳 リチャード・タトル
Richard Dean Tuttle リチャード・ディーン・タトルは1941年ニュージャージー州ラーウェイ生まれ、ニューヨーク在住)。最も特異な現代アーティストの一人。彼の作品は分類を逃れ、彫刻、絵画、ドローイング、インスタレーション、版画の境界を曖昧にする。1965年にニューヨークで初めて個展を開いて以来、リチャード・タトルは非常に自由で型にはまらない、常に進化し続ける活動を展開してきた。ミニマリズムの極端な厳格さから逸脱した彼の彫刻は、その素材や構成においてある種の脆さを帯びている。タトルは、オブジェや空間との関係に対する私たちの理解を変え、彫刻の概念を微妙に再定義することに余念がない。リチャード・タトルは、様々な素材を巧みに使い分け、厚紙、金属、木、紙、テキスタイルが詩の言葉や楽譜の音符のようになるような個人的な語彙を展開している。彼の彫刻は、参照や解釈がないことも特徴である。
| 部分 |
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| 全体の展示はこんな風。作品タイトルはアルファベット(一番上のはN、2番目のはL、次のはPというように)で順に並んでいる |














