2024年2月5日月曜日

マクロン政府のマキャヴェリズム

マクロンがマキャヴェリ(ウィキ)を敬愛していることは昔から本人自身が言っていたことだが、最近の「移民法改正案」に関してはもうそのマキャヴェリ流の権謀術が極まった。かつそれはマクロン大統領+政府(面倒なので「マクロン政府」とします)のみならず、右派野党も同じくマキャヴェリ路線で、フランス政界でこんなにインチキで重大な茶番劇はおそらく私はこちらに来て初めて見る現象。
 
簡単に言うと政府は右派野党の票を得るため、政府案に憲法に反する条項とわかっていながら右派の意向の改訂条項をどんどん入れて受け入れ、多数を得て国会通過。全ての法律は公布されるためには合憲性を憲法評議会が認めねばならないが、予想されていた如く憲法評議会は条項の多く:三分の一以上をも却下(86のうち35条)、結局は右派との妥協前の、政府の原案に戻った形の改正法をマクロン君は公布した。この悪辣な権謀術、わかってもらえるだろうか?
 
インチキな権謀は右派野党も勝るに劣らない。彼らだって違憲だとわかっていたのに、違憲判断が出たとたん「民意の反映である国会の審議を踏みにじるものだ。だから憲法を改正せねば」と意気軒昂なのである。
 
私みたいな高潔なる士はやってられんです。

さて、問題になった「違憲改定案」は、35もの条項があるので細々複雑なこと排除し(私自身興味ないことはよくわかってないし)、重要なことは:
 
右派野党が改訂しようとしたことは、フランスをして「おフランス」(注:褒めてます)にしている、たいていの外国人がフランスに来て驚く律儀な平等主義なのだ。例えば日本人の貴方がちゃんとヴィザを持って留学して下宿を見つけた場合、申請すれば住宅手当を受ける権利が得られる=フランスの学生だろうが留学生だろうが差別はない。正規の移民労働者だったら社会保険(失業手当などの権利)を得、そこではフランス人労働者とまったく隔てはない。子供が生まれたら家族手当(かつて I さんは「俺でももらえるのか〜」って感動していたな)。これって当たり前のようで多分世界基準では全然当たり前ではない(日本はどうなのでしょうか😅)
 
つまり右派野党の改訂案は家族手当とか住宅手当とか、ある期間居住してない限り外国人は権利を得られなくするものだった=つまり金科玉条の「法の前の平等」に反する。
だがこういう改正(フランス人優先)に賛同する人はますます多くなっている。それは「このような手当を外国人に与えることが国家赤字の原因になっている」と極右がまことしやかに流布しているから。実際にはその「右派の実感(?)」に反し、例えばOECDの調査結果でも移民労働者の影響は足を引っ張るより貢献度の方が高いといえるのだ *。

さて、政府原案の目玉は「人手が足りない業種につく移民には滞在許可を与える」というもので、右派野党は移民数が増えるから当然反対、それで上に述べたマクロン政府は策謀をめぐらせたわけだった(注:現在政府は国会で過半数を占めていない)
日本のような国の方からは誤解を生じるかもしれないので言っておくと、憲法評議会が違憲判断したのは評議会がマクロンの息がかかっているからということではない(もちろん大統領は一部の評議会メンバーを選ぶ権利はあるが)。「違憲」でよかったどころか、右傾化の激しいマクロン政府にとっては、評議会が違憲とせず法の下の平等社会が実現してもひょっとしたら願ったり叶ったりだったかもと私は政府の本心を勘ぐってしまうほどなのだが、その中道から超右寄りになった政府の「人手が足りない業種につく移民の受け入れ」案には私は大賛成なのだ。個人的にここで、稼いでいないと滞在許可が延長されない、でも正式には労働許可はないという、鶏が先か卵が先かのような答えのない矛盾した不安定な状況に何年もおかれた経験から、移民できた人には全員に短期間の滞在・労働許可を先ず与えるべしと思っているので、産業界の欲する人手獲得であろうとその方向に向かうのには賛成なのだ(ウクライナの人にはそうできたではないか!)。
というわけでよく賛成意見を率先して言ってしまい、なかなか物事を整理してすらすら話せない私はマクロン嫌いの多い私の周辺で誤解を受けかねないのだが。。。とはいえ世の中AはA、BはBだけでないですからね。でもマクロン政府はAとBを混ぜ混ぜにして出してくる。これも策略か?(あるいは単なる私の意見の相違か😅)
 
国会で過半数を制していないマクロン政府は、これまで重要法案を強行採決し続け、今回はこんな裏技を使った。いずれにしても議会制の威信は失墜するばかり。フランスの民主主義はどこに行くのだろう? 
 
* 注:移民が税金や拠出金の形で負担する貢献は、移民の社会保護、医療、教育に対する公的支出を少し上回っている。例えばフランスでは、2006年から2018年の間、移民の正味の財政貢献はGDPのおよそ1%であった。移民は若い親としての援助をより多く受けているが、労働人口も多いため、年金財政への貢献も大きい。
(レポート原本は私の能力超えるけど、ぱっとググっても France Cultureのノーベル賞経済学者の解説とか La Dépèche が参照しているのでご参考に)
 
 

2024年1月25日木曜日

マーク・ロスコ展に思う

昼間も零度前後の厳しい寒さがやっと終わって昨日は青空、これはブーローニュの森への散歩日和と重い腰をあげ、、、でも実は散歩が目的ではなくてルイ・ヴィトン財団のマーク・ロスコ Mark Rothko の大回顧展へ。この展覧会も人気なので、寒い日に外で待たされたらたまらんですから(一応予約制だが普通は外で列がある。私は最寄りの地下鉄からヴェリブに乗ったらところ早く着いたので予約時間3時の待ちの列に並んだが、2時半予約で20分以上遅れてきた人の方が即座に入れてもらえる「遅刻者勝ち!」のフランス的システム。寒かろうが寒くなかろうがまだ4月2日までやってますので、ご参考に)
 
さて、前回の投稿の大人気のニコラ・ド・スタール同様、こちらも「見なかったら画家の片隅にもおけない」と非難されそうな雰囲気😅 初の大回顧展のド・スタールと違って、10月に始まったこのロスコ展、「すぐに!」という気にならなかった大きな理由は、「この間近代美術館で回顧展あったばかりじゃないか」という印象を強く持っていたので。だが調べてみたらそれは1999年のことだった!この時間感覚やばいです!
シュール時代の作品1946
 
というわけで四半世紀も前のことだから記憶は定かではないが(笑)、近美に比べて今回のルイ・ヴィトン財団の方がスペースは広々、かつ光を落とした空間に一つ一つの絵がスポットで浮き上がるように展示されていて、彼の到達した四角の絵の神秘性、特に晩年の暗い絵のそれを深める効果は満点すぎるほど満点だった(後述参考)。(ロスコは最晩年の礼拝堂とかそういうセットアップを全て彼自身が指定していたそうだから、それを尊重しているだろう)
 
それに初期の具象的な絵やシュールレアリズム時代の絵(これがなかなか良い)も充実していて最初ですでに大満足😄

 
展覧会を見つつ特に感じたことには、観客の多くが幸せそうな顔をしている。ロスコの絵は心を和ませるのか?→フランスでよく言うbien-être(ウエルビーイング?)の効果あり? 
 
細部
それもそうかもと思わないでもない。
何度も何度も色を重ね、タイトルが「黄土の上の赤」でも「一色とは言えない一色」の大きな平面は視覚、つまりは知覚にやさしくゆらぎを醸し出す。
境界のぼんやりとした淡い四角から人は内側と外側、こちらと向こうへの旅に誘われる。
もちろんそこには窓を通した空と原っぱ、地平線、つまり風景の原型を感じさせる。
「美とは何か」というのは芸術の永遠の問題なのに、彼は絵の色彩とかコンポジションのどうこうを超えた「美のアーキタイプ *」を発見したように思えてならない。彼が行き着いた四角は理屈なしに多くの人にとって精神性・宗教性を感じられる体験型の絵なのだ。彼はそれを目指していたのだから大成功!
 
(*注:archetypeはユングの用語。 集合的無意識の領域にあって、神話・伝説・夢などに、時代や地域を超えて繰り返し類似する像・象徴などを表出する心的構造。 祖型)
 
細部
「人々の多くが私の作品に直面したときに、感情が揺さぶられて泣くという事実があるので、私は基本的な人間の感情を伝えることができていると思っています。私の絵の前で泣く人たちは、私が絵を描いたときと同じような宗教的な体験を感じています。色彩の関係のみで美術を語る人は間違っています」と彼が語ったそうだが、ルイ・ヴィトン財団の壁には某女性現代美術家の「私は涙ボロボロになりました」という発言が書いてあり、私は感受性が高くてシャーマン的で、「あんたはそれが感じられないの?」と問うような彼女の作品が大嫌いなのだが😅、その壁をやり過ごした私がその後の暗い色の作品のホールに入って絵を見ていたらだんだん身体中が痛くなり、「横になった方がいいかな?救急室で寝さしてもらおうか?」と思うほど圧迫感を感じて危ないところだった。数分椅子に座ってほうほうの体で外に出てなんとか深呼吸。売れっ子になった(なりすぎた?)ロスコは「作品が装飾的に見られて本当の意味を理解されていない」なんていう幸せな悩みで苦しんでいたのだと思っていたが、自殺しただけはある、最後の方の絵は呪われてますよ(暗黒への誘い)。みなさん気をつけて。以上いつもの通り私の勝手な憶測、自殺の理由も全く知りませんが、気をつけるにこしたことはないです。私のように闇の前で萎縮するたちの人は特に 
 
 注:つまり私は某作家さんのように超感受性があるのではなくただの怖がりだろうですので誤解のないように。
 
それからこれってかなり褒めた投稿だったのですが意図伝わったかな〜?疑問😅
 
 
 
 参考
 
ロスコに関する美術解説はこの記事でも。掲載された初期の絵の多くも展覧会にありました:https://www.artpedia.asia/mark-rothko/ 

ヴィトン財団 (Fondation Louis Vuitton) のロスコ展サイト:https://www.fondationlouisvuitton.fr/fr/evenements/mark-rothko 4月2日まで
 
 
ヴィトン財団ともなると予告編まであって、会場の広々とした雰囲気はわかってもらえるでしょう。
 

 
 
ヴィトン財団ってフランク・ゲーリー建築のこれですよ。
薄汚れてきた気もするけど冬空のせいかなー? 開館当時の写真は次の過去投稿をご参考に
 
フランスの新名所 ルイ・ヴィトン財団
ルイ・ヴィトン財団 追加写真


 
 
 
 
 
 
 
 
 
突然ですがボナール。
ボナールファンの私の目からするとロスコはすごく影響されてると思うのですが。
個人的にはこちらの方が私は幸せになります😁
 
(注:写真の絵のチョイスは皆さんを納得させようというのでなく、ネットで簡単に転載できたからです)

2024年1月15日月曜日

謹賀新年、十人十色というけれど、、、(ニコラ・ド・スタール展など)

皆様あけましておめでとうございます。あまりこのブログの筆が進まなくなりましたが時々書きますので今年もよろしくお願いいたします。でもこれを全部読むと下に触れるように「もう読まん」って人がでてきそうだが。 

さて、この正月、新年早々よく寝られて暁を覚えず(といっても年末年始のパリの日の出は8時半〜9時過ぎだから当たり前)、それどころかはどうみてもよく寝られる。多分その理由は新年早々「健康マットレス」をやめてみたのだ!

愛知県の実家には極薄煎餅布団しかなく、よく寝られないはずだったが、11月に戻ったときは意外によく寝られた。それがパリに戻ってからはまた、、、、(時差とか寒さとかいろいろ原因はあるが)。考えてみると5月にブルターニュに行った時も(これは元ホテルの最高(?)寝室に寝させてもらったので「さもありなん」だったが)(参考掲載)、9月に南仏に行った時も自宅にいるよりよっぽどよく寝れた。というわけでその頃からちょっと疑問に思い始めていたのが、有名スポーツ選手とかが競技会に遠征する時にも持って行くとかいう「健康マットレス」で 、知り合いに「熟睡できるから是非ぜひ」と推薦され、丁度JALだったので普通より大きな荷物が運べるので絶好のチャンスと昨年春日本に戻っているときに買って帰った来たその「健康マットレス」、なんかよく寝られないのはそれからなのだ。

でも浅田真央も知り合い達も保証の快眠マットレス、世の中で評判のようだから疑ってはいけないと自分に思い込ませていたのだが、自分の身体に聞いてみた結果、推薦してくださった方には悪いけど、かつメーカーにクレームするわけではないが、身体も人それぞれ?、一般の健康的な身体と精神の人に良いとされるものが、私のようなひねくれ者にも良いと思い込むのは大きな過ちだったようだ。


話は変わって秋依頼断然の人気のニコラ・ド・スタール Nicolas de Staël の回顧展。私はかつてから彼をそんなに大した作家ではないと思っているので敬遠していたのだが、あまりにも多くの人に推薦されてそうも行かなくなり(?)、彼に興味がなかっただけに知らない作品も沢山あるからと行ってみたのだが、「やっぱり」と自分の思いを再確認した。だから感想を聞かれるともはや「これを言ってはおしまい」の状況にある。確かに昔アンティーブのピカソ美術館のピアノとコントラバスの赤黄黒の鮮明な色の幅6mもの大作「コンサート」を見たときはその素晴らしさに彼へのネガティブだった評価を考え直したものだったが、これは未完成で(自殺したので)、多分描き進めたらベタベタパレットナイフで色を重ねて「私の嫌いなもの」になってしまったのではと思う。今回の展覧会でも同じく明るい色彩の大胆な簡潔な構成で、サイトの写真を見ると「おおっ」と思うものも数あったのだが、実際に見るとやっぱりベタベタと塗り重ねていて、なんでもっとすっきり決めないのか不思議。実は私が趣味で絵を始めた頃の教則本や日本の多くの先生達は油絵はナイフで絵具を重ねることで味わいを出すものと思っていて、展覧会に行くとそういう絵がいっぱいあって閉口したものだ(ちなみにスタールは1914-1955)。だから私にはその古臭さにとても抵抗がある。それにねー、風景画のタイトルで、例えばドラ・マールの家のあったメネルブ村(参考掲載)(スタールはこの村に家を買った)とかパリ近郊の街のジャンティイのように一時期滞在してよく知っている地名も出てくるのだけど、描かれた抽象化された風景画が全然その地を感じさせないってのは致命的としか私には言いようがない。 

こんなことを正直にいうと「お前から買った作品を返す」という人もでてきたほどで、(まっ、金返せと言われないならそれでも問題ない?ってことはないです。私の芸術家としての資質を問われてしまってるので)つまり大変なんです😅。 

 

遠目はいいんですけど

近づくと左官の塗り試しみたいで  

花の息吹をセメントで塞いだようではないか、なぜ?

十人十色とはいうけど、世の中十人の九人は同じ趣味で絶対的自信を持っていてそれを押し付けられると、そこから外れた人間は身体も精神も苦労する。本当に世の中十人十色だったらよかったのだけど。

概してフランスは日本より十人十色感は強く息がしやすい。12月に戻った当初「やっぱりパリは自由の空気が漂っているな〜」と大きく息していたら、十人十色でマスクせずのゴホンゴホンしている人が多く、メトロ、バスで多く風邪のウィルスもたくさん吸ってしまい、年末は大晦日前日まで風邪が抜けず低調だったけど、新年になって寝床を変えていたって元気です(笑)

というわけで「健康マットレス」邪魔なのでお譲りしますが、私何ヶ月も使ったマットレス欲しい人なんているわけないよな〜、絵でも描くか?(そうすると余計もらい手がなくなるのは明白)

結局私は絵でも人でも「これでもか、これでもか」と厚塗りしてくる人は嫌いです。もう嫌われついでに告白してしまうとゴッホのチューブからそのまま出したような厚塗りも昔のケーキのバタークリームを思い出してかなり苦手(薄緑とかピンクでそんな色してます)。でも今オルセー美術館でやってる「オヴェールのゴッホ、最後の数ヶ月」は見た方がいい😅 (2月4日まで)バタークリームも何もそのエネルギーに圧倒される。それはポンピドーのピカソのデッサン展でも全く同じ(これは会期今日まで!)。今更ゴッホ、今更ピカソとも思ったけど、そうは問屋が下さなかった。巨匠達の尽きることなく溢れ出るパワーは圧巻です。

 

参考
ニコラ・ド・スタール Nicolas de Staël 回顧展はもう最終週:パリ市近代美術館で21日まで。
(サイト)大人気だから予約要
 
注:スタール貶しましたが、自分の表現を真摯に探していて悪い作家ではないのですけど天才扱いされるとちょっとねーという感じでこんな投稿になりました😅
 

2023年11月24日金曜日

荒川さんの「養老天命反転地」

私の実家は名古屋西部にあるのだが、そこから木曽三川の揖斐川を上った養老町に荒川修作と彼の連れ合いのマドリン・ギンズのコンセプトの「養老天命反転地」なる公園がある。

ところで皆さん荒川修作ってご存知だろうか? 

「私はよく知ってますよ」っというか、、、
 私の子供の頃は新聞社が美術展の大のスポンサーで、その新聞社勤務の父の役得で得られる招待券のおかげで私は名古屋で開催される美術展はピカソ、ダリをはじめ、泰西名画から浮世絵、現代アートまで総なめしていた。その頃の現代美術展はコンセプチュエルなものが主流で小中学校生の私には手に負えなかったのは当然だが、その中で特に「煮ても焼いても食えんな〜」とエイゾウ少年が思った最たるものが荒川修作だった。名古屋出身でニューヨークで活動、グラフがあったり表があったり線が引いてあって絵単語が記されていて「優秀賞」なんて受賞しているのだから、少年もそれなりにすごいものなのだろうと思って見るのだが、英単語の勉強以外には何とも致し方なしとすぐにサジを投げた。それどころか以降荒川修作は敬遠。この養老の「公園」も行きたいと思ったことがなかった。実際フランスから友だちが実家にきた時も「養老の滝」は行ったが「養老天命反転地」には足を運ばなかった。
 
ところが今回、実家に住むのも最後になるかもと思って行ってみたら、この公園はものすごくおもしろかった!^_^ 
昔の作品同様理解できないのは同じとしても、傾いた床の迷路のような建造物の中を歩くとドイツ表現主義の無声映画「カリガリ博士」
(ウィキ)にでもなった気がしてくる歪んで奇怪、でもベッドとか冷蔵庫とか実際の調度品が壁に飲み込まれては透過し、天井にはテーブルがある反転世界というシュールな滑稽な愉快さがあり楽しめる。建造物は95年の開園以来そのままで崩壊しないか心配にならないでもないが、それもまたよし。逆に手入れのされた屋外公園は「不安定感」をキープしつつもなごめる空間になっている。今更ウィキを見てみると、私が食わず嫌いになった60年代後半から荒川修作も随分「進化」したらしい。といっても彼の理論を紐解こうとは思いませんが(絶対私には難しすぎる=煮ても焼いても食えんには変わりないので)
 
下のインスタからの掲載は空間がわかってもらえるようビデオ主体ですのでクリックして動画をご覧あれ。安全第一主義の日本でどこで転んで怪我するか分からない公園ってのはとても素敵です!!!

 

 

下の白黒写真は家を整理して出てきた(で即整理の対象となった)現代美術展のカタログにあった彼の作品の写真。 ほんとにね〜

 

公園でもどんぐりコロコロしそうになります

これは養老の滝。紅葉にはちょっと早かった:
 そうそう実は紅葉にいいかと思ったのが行ったきっかけだった。温泉もあるし(笑)

 参考

荒川修作のウィキ

養老天命反転地のウィキ

2023年10月25日水曜日

プレゼの上手のダニエル・ビュラン

Résumé : Hier matin, dès que j'ai vu le ciel bleu. Je me suis dit : Il ne faudra pas rate ça ! Je me suis donc précipitée pour voir la grande installation de Daniel Buren et Pistoletto. Car, avant-hier, j'ai écouté Daniel Buren interviewé à la radio à l'heure du déjeuner. En fait il présente son travail toujours à la manière excellente. Sur place c'est ni plus ni moins que ce que l'on imagine : il me fait toujours marcher par son discours et par les photos :)
 
最近のパリの日の出は8時半ごろだから我が地下アトリエは遅くまで真っ暗でちっとも起きる気がしない。かつ夏から一気に晩秋になって雨混じりの曇天が多いから余計。
 
それが昨日は起きたらすぐ青空が見えた。「今朝を逃したらもうないか!」といそいそ出かけたのがダニエル・ビュラン Daniel Buren(日本語ウィキ) とピストレットPistolettoの二人の大インスタレーション。 というのも一昨日のお昼にダニエル・ビュランがラジオのインタビューを受けていて、なんかとても素晴らしそうだったから。かつ午前中、色ガラスから陽光が差し込むのを見計らっていくに越したことはないとわかったから早速行ったけど、ダニエル・ビュランさん、話にユーモアもあるし、いつも本当にプレゼがうまくて、彼のコンセプトのinsitu(場所特有の空間芸術)の現場に行かなくてはと思わされる。しかしその現場に行って感じたのは「こんなもんでしょ」。つまり想像した以上でも以下でもない:従って想像力ある人は行く必要がないでしょう(笑)
しかし顔を輝かし私に同意を求めるような目線を差し向けるおばさんたちもいたから想像力に自信のない人はどうぞ。(でも今から最終日の日曜までに美しい太陽光線が差し込むことはもうなさそうだが)
それとインスタ好きの若い子たちにも受けていた。
写真映えするんだよな〜、これで何度ビュランさんに騙されたことか!
それでいて何度も騙されても見てしまう:つまり私はこう言いながらビュラン先生を尊敬しています。
 
 
そのあとここまで来たから近くの近美でニコラ・ド・スタールでもと思ったら長蛇の列、服飾美術館も回廊に列をなし、それなら日光浴がてらとヴェリブでセーヌ河沿いにオルセー美術館までサイクリング。そのオルセーの長蛇はゴッホ展の所為かすごかった〜。「芸術の秋!?」 そう、世の中万聖節の学校休暇でしたー。そのとばっちりで私のいつも使う地下鉄14番線は集中工事のため2週間全線閉鎖:それで違う線に乗るためオルセー美術館までサイクリングしたのでした。
 

いつもはお役所のPalais d'Ienaで、10月29日まで (アートフェアのおまけで超大手の画廊がスポンサー)

すぐ行って見たくなるような美しい写真を見たい方は美術雑誌のこのページでもご参考に 

私の聞いたラジオインタビューはこれ

ビュラン先生のことは旧ブログで何度も書いていたが、例えばグランパレのダニエル・ビュラン(今読んだらほとんど同じこと書いていて失笑)

ピストレットさんはよく分からないのだけど2013年に何度か連続掲載してます(もしくは右の欄でブログ内検索してください)

2023年10月16日月曜日

フランソワ・シェニョー&エメリック・エノーの生のパワー


土曜日に久々にすごい舞台を見た。「フランソワ・シェニョー François Chaignaudは素晴らしくて過去5回全ての出し物を見ている」とCさんが言うだけのことはあった。おったまげた!
 
ダンサー兼振付のフランソワ・シェニョーはタップダンスをベースにして打楽器のリズムを床を叩いて発しながら、共演のエメリック・エノー Aymeric Hainaux は自らヒューマン・ビートボックスと呼ぶように、体がリズムマシーン、色々なリズムの音を口から発してマイクに送り込む。その二人の舞台 "Mirlitons"(葦笛?多分ここは騎兵帽と言う意味か???)。劇場サイトから借りた上の写真のように原始の部落のシャーマンの踊りのような儀式っぽいパーフォーマンスだったが、凶暴ともいえるリズムで春の祭典のような神に祈るようなリズムとダンスであり、二人の体を張ったバトルでもある。二人とも1時間ほぼ踊りっぱなし歌い(?)っぱなしで圧倒された。でもそれも一本調子ではなく、展開がすばらしく推考されていて、、、いじけ批判の多い私もこれは満点です!!
 
「皆さん見てください」といってももはや満席で空席待ちしかない。
もし席があったら、床に座布団で二人の踊る3x3mぐらいで高さ10cmぐらいの中央の「台」を囲んで座るので、かぶりつきが推薦。

公演後すぐに気さくに衣装の説明をするエノーさん
公演後Cさんに挨拶する(?)シェニョーさん
 
私の見る限りネットにこの公演のビデオなし。 
いつか日本に行くといいですね(シェニョーは赤児麿と公演してるからすでに行っているみたい)
 
公演のあったのはボビニー Bobigny というパリのそれこそ貧民層の多い郊外の街なのだが、そういうところにシアターを作って、この舞台のような誰にでもアピールする公演を組んでも結局観衆のほぼ100% はパリから。そう言う意味では残念ながらフランスの社会的文化政策の失敗を絵に描いたよう。とはいえ「その問題=文化的アパルトヘイトをわざわざパリから来る観衆に明らかに見えるようにしていることに多少は意味があり」とするしかないだろうか。 

2023年10月9日月曜日

自由な82歳 リチャード・タトル

自分の展覧会があると「滞在許可書」どころか人の展覧会になかなか気が回らなくなる。金曜に自分の個展が終わって早速いったのは Galerie Lelong の Richard Tuttle, David Nash, Barthélémy Toguo という三人の有名アーティストの展覧会。
 
その中で82歳のRichard Tuttle、たゆまぬ開拓精神旺盛で光っていた。細長くて写真映えもよくないが、何がいいかと言うと、、、一番は私に「もっと頑張らなくっちゃダメよ」とはっぱをかけてくれること(笑)Les presses du réel という出版社サイトの作家紹介文がよく的を得ていたのでDeepl Traductionで自動翻訳しましたのでご参考に:

Richard Dean Tuttle リチャード・ディーン・タトルは1941年ニュージャージー州ラーウェイ生まれ、ニューヨーク在住)。最も特異な現代アーティストの一人。彼の作品は分類を逃れ、彫刻、絵画、ドローイング、インスタレーション、版画の境界を曖昧にする。1965年にニューヨークで初めて個展を開いて以来、リチャード・タトルは非常に自由で型にはまらない、常に進化し続ける活動を展開してきた。ミニマリズムの極端な厳格さから逸脱した彼の彫刻は、その素材や構成においてある種の脆さを帯びている。タトルは、オブジェや空間との関係に対する私たちの理解を変え、彫刻の概念を微妙に再定義することに余念がない。リチャード・タトルは、様々な素材を巧みに使い分け、厚紙、金属、木、紙、テキスタイルが詩の言葉や楽譜の音符のようになるような個人的な語彙を展開している。彼の彫刻は、参照や解釈がないことも特徴である。



部分


全体の展示はこんな風。作品タイトルはアルファベット(一番上のはN、2番目のはL、次のはPというように)で順に並んでいる 

 
へへへ、なんか作りたくなってきませんか?
 
急いでいった土曜は最終日、つまりもう終わっています。 
 
タトルに比べて他の二人は、それなりにファンを満足させるでしょうが「いつものことやってます」という感じでした。