2014年2月18日火曜日

ポンピドーの「シュールレアリズムとオブジェ」展

未だに士気が上がらないのでまた展覧会:前回ブラッサイ展に行ってしまい見なかった、もうすぐ終わり(3月3日まで)のポンピドーの「シュールレアリズムとオブジェ」展へ。今週からパリの学校は2週間冬休み。基本的にはスキーに行くための休みだが、そんなに経済的余裕のある人はマイナー。かつ絶対に人気があるだろう写真の巨匠アンリ・カルチエ=ブレッソン展も始まってしまった。田舎からパリ観光に来る人が多いかもしれないし、、、と警戒して出かけたが、意外や意外、空いていた(展覧会に来る層とスキーへ行く層はダブルのか?)。

ポリアコフの展示が奇麗だったと褒めたが、この展覧会も 最近よく言われる「展覧会のコレグラフィー(振り付け)」が成功していた。というか元々シュールレアリスト達が昔企画した展覧会は今で言うインスタレーションが一杯の「振り付け」付き展示だったので、はじめからそれに馴染んでいるのだと思う。
かつ展示も1933年、36年、38年、47年そして59-60年のシュールレアリスト展の踏襲がメインで、その中でも彼らの作品にプリミティブアートや鉱物などを並べた36年の「オブジェ」展が圧巻だった(右写真)。かつこの珍奇品蒐集趣味的、フランス語で「キャビネ ドゥ キュリオジテ(Cabinet de curiosités)」風と言える展示法は、従来の歴史順、地域別に対峙する展示法といて近年流行なのだ(これに関してはまた触れよう)。

私は普通「ただ美しくみせるだけのわざとらしい照明」のお仕着せの見せ方しかしない「振り付け展示」(パリのケ・ブランリ美術館はその典型)は大嫌いなのだが、36年展の復元はオブジェが博物館的に大きなガラスケースに入り、久々に原住民の彫刻やマスクの背中側とかがしっかり見えてとても満足。


シュールレアリストの作品でも、例えばマグリットのベル型ガラス容器に入ったチーズの絵は後ろに回るとキャンバスの裏に「これはチーズではない」と書かれているのがわかるという具合。

 
見終わって思ったのは、超有名な作品、メレット・オッペンハイムの「鶏の丸焼き」に似たハイヒールとか、ポスターを見ている限り今ですら新鮮に感じていたのだが、本物を見たときのインパクトが(私には)随分低かった。やはり組み合わせの意外性がキーとなる作品はイメージの洪水の中で鈍化してしまう。シュールレアリストの歴史的影響として「エロス」をずーっと暴力的に表現する現代作家の作品が飾られていたが、30年代にはシュールレアリストの作品は同様な暴力性があったということなのだろうか? 人間何にでもすぐ慣れてしまう。だからそれだけの作品はすぐに陳腐化する。まあそれも美術史でしょうか?

この展覧会はシュールレアリストの彫刻の2大柱は「人形」と「レディ・メイド」であるという議論の余地がありそうなコンセプトで(だから逆にその二つに入らないシュールレアリスト時代のジャコメティが一人で大きなスペースを貰っていた)、最初にブラッサイの「指ぬき」などの日常品の写真があった:つまり市役所の展覧会は「パリ」がテーマで「回顧展」ではなかったので訂正します。

それから2/1に書いた ブルトンと良い中だったらしいヴィクトル・ユーゴのひ孫、ヴァレンチーヌの代表作はこの手袋らしい(本物はなくてその写真が展示されていた)


昨日もやる気がしなかったものの、眼鏡忘れてブレッソンの写真はないだろうと「展覧会の梯子」はしなかった。

ポンピドーのサイトのビデオでかなり雰囲気が見られますのでご参考に(何故セックス・ピストルズが音楽なのかこれまた疑問ですが)



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