2021年5月7日金曜日

ドラ・マールの家、その後

ドラ・マール・トリオ(背景の木に隠れるのがドラの家)
結局ほぼ2ヶ月幽閉されたプロヴァンス、メネルブ村の「ドラ・マールの家」のレジデンスが終わってしまった。1日たっぷり時間があり「超余裕」と思われるのに、後半はハイキングもままならぬほど忙しかった〜。というのは村に別荘を持つ人に呼ばれたり〜(本当はロックダウンだからいけないはずの複数人の会食(笑))、アトリエを見にくる人がいたり、ドラ・マールの家の行事であるアーティストとの交流サロンが開催できないのでそのヴァーチャル版の撮影があったり、、、。そして新しく開かれる画廊スペースで夏に私とフィリップ君の展覧会をしようという話が持ち上がってからは、その打ち合わせとか、、、それにこれが私の「存在または滞在理由」であるべき新しい作品の制作もある。コロナの危険からは遠い田舎の村とはいえ基本的には午後7時から外出禁止だから昼のプログラムは集約され、日頃「暇人」を称する私には「超多忙」のレベルだった。

かつデザイン関係の仕事もするフィリップ君の影響で前々回写真掲載したように食事あるいはそのセッティングに凝りまして、、、(笑)。前も念を押したが買い物、料理は自分たちでするのでこれも時間がかかる。原則ランチは庭で、夕食はサロンで。しかし最後の週は全員忙しすぎてランチは各自が冷蔵庫の残り物ですませることになったが、夜は同居人3人(フィリップ君とNYからきたジャズの歴史を書くマキシヌさん)で「邸宅」に見合った晩餐をすることのがルール。加えて私には和食を作れというプレッシャーがずーっとかかっていたのがますます重くなってきて、苦しかった〜(笑)。しかし魚もないし根菜も椎茸もないし、寿司・刺身などは無視してメネルブ村で帰る惣菜と多少異国情緒をだすためパリから送ってもらった海苔とワカメを使い、スモークサーモン入り炊き込みご飯と肉じゃがもどき、ナスのあれはなんだろう、生姜ニンニク味という醤油風味の創作料理でごまかした〜(ホッ)

先週の金曜にパリに戻り、3月から4月いっぱいまでの、つまり「一般公開」されなかったグループ展の最終日に行き(「大変だったよ〜」と言われてもオープンできないのは火を見るより明らかだったので「反対」した私は全く同情できない)、翌日5月1日はメーデーでテークアウトのクスクスを食べ(両者に関係はなし。単に開いている店が少なかったので)、2日は日曜の朝市に行って惣菜屋とヤギのチーズ屋に無沙汰の挨拶(?)、それ以外に何やったかしらん? 月曜日はグループ展の搬出。その後は水木に予定されていた2年前に遡る水漏れ被害の天井修理工事のためいろいろなものを片付け、今日金曜もアパート全体でやっている暖房用ラジエーターの交換工事なんてものもあり、アトリエは工事現場状況のまま。夢のようだった「ドラ・マールの家」と程遠いどころか「創作活動」とも程遠い生活になってしまった。

ペンキ臭いのでドアは開けっぱなしで室内温度は15度しかない。(新しいラジエーターは自動運転するみたいでこの状況でオンしておいては電気の無駄使いでしかないので切った:まだマニュエル理解できていないし😓)

しかしドラ・マールの家はよかったなー ♫

木金はこれだったからギャップ大きいです

 

昨日は工事中の家にいても仕方がないのでワクチン接種に行ったが、この話はまた明日にでも(?)。

 

これはパリのグループ展



最後にドラ・マールの家で私が出演したビデオでも(笑)


 
 

リンクのためにドラ・マールの家のYoutubeに行ったら空中から撮影したビデオがあった。こんな綺麗なところにいたのです。ご参考に


 

2021年4月12日月曜日

プロヴァンスのジェームズ・ディーン

ジャジャーン、プロヴァンスに忽然と現れた巨大なジェームズ・ディーンの記念碑!

これは上の写真の反対側
かつこれが日本人彫刻家の手になるものでというのだから!!!&???

この石のモニュメントを彫った作家は水井康雄氏、1953年フランス政府給費生としてパリに留学、以後2008年に亡くなるまで生涯にわたりフランスに暮らした。1964年の東京オリンピックの国立競技場、68年のグルノーブルオリンピックの選手村など公共建築を飾る巨大な石の彫刻、レリーフ壁を数々手掛けたというからには名の知れた方なのだろうが、「モグリの美術作家」の私には??? 「ドラ・マールの家」に勤めるLさんに連れて行ってもらい初めてこの日本人作家としての大先輩の存在を知った。リュベロン地方には石切場が幾つもあり、サド男爵の城で有名なラコスト村 Lacoste もその一つで、そこに自ら住居を設計建築した。この地で亡くなったので残された住居の敷地内に数多くの彫刻が残されており、このジェームズ・ディーンの記念碑も敷地内にあるのだ。

とはいえそこは「彫刻の公園」ではなく敷地は放ったらかしにされており、かつ村はずれなので「知る人ぞ知る」。昔行ったことのあるLさんもどこだったのか探しあぐねたのだが、ちょうど「ドラ・マールの家」で同居中のレジダンス・アーティストが「両親の別荘が隣だった」というベルギー人を知っているという偶然があり、その人に電話をして確認、無事にたどり着いた。

水井康雄氏について、そして何故ジェームズ・ディーンの記念碑が庭にあるかは日本語ウィキペディアに詳しいのですべてウィキにお任せです

Note : L'information sur Yasuo MIZUI, le sculpteur qui a réalisé le monument des photos ci-dessus, veuillez vous référer à Wikipedia.

 

 

我々は水井家の敷地内か外かわからないけどその近所の見晴らしの良いところでピクニックをして帰ってまいりました。断っておきますが基本的にはこのビジットは「私有地不法侵入」の疑いが高いので行き方の詳細は差し控えさせていただきます(笑)


2021年4月10日土曜日

プロヴァンスのマチュピチュ

私の英語は名古屋弁だ。というのは例えば have をカタカナにすればハヴと言わずヒャヴと言ってしまう癖(? 少しは直ったと思うが)があって(地下鉄の駅の敷地と化した今はなき我が母校の千種台中学の英語教諭はそう発音していたと思うのだが)、それを大学(東京)に行って初めて「おかしい」と指摘された。その先生は仕方なく(?)理科系の学生に英語を教えていたのだが本当の専門は中南米の文化人類学で、その話になると力が入る。その先生のおかげでインカ文明にひかれ、その頃からずーっと是非一度はマチュピチュに行ってみたいと思うようになっていたのだ。だが最近は超観光化のルポなどを見てその気がそがれてしまっていたのだが、なんとプロヴァンスでこの夢を達成!(笑)

場所は Le Fort de Buoux (ヴウックスの砦)今や山中に孤立した遺跡だが、リュベロン山脈を南北に縦断する唯一の行路の要で町があり、山上にはそれを見張る要塞都市があって、その遺跡に辿り着くには山道を登り、砦の壁についたかと思うと長細く遺跡が連なっていてまだまだ登り最後は絶壁に至る。こうして私はマチュピチュ気分となり、ここを「プロヴァンスのマチュピチュ」と名付けることにした。もちろん私が勝手につけた呼称なので一般には通用しない。だがリュベロンには「プロヴァンスのコロラド」と呼ばれる場所があり、赤・黄・橙の岩壁があり綺麗なのだが「本家」の超々ミニアチュア版で、宣伝文句を信じていくと拍子抜けする。それを考慮するとここをマチュピチュと言っても差し支えなかろうと勝手に「本家」を知らぬ私は思うのである。

さてこの城砦遺跡は今やピーター・メイルの平和な田舎となったリュベロンが16世紀は戦いが絶えなかったのを教えてくれる。

某サイトによると(DeepLで自動翻訳して加筆修正):

「攻めろ」っと命令される兵士でなくてよかった
1530年以降、リュベロン地方で行われたVaudoiseと呼ばれる人々への残忍な弾圧は、16世紀後半を彩った宗教戦争を予感させるものだった。前世紀に荒廃した村々に、土地の再利用を望む地元の領主が呼びかけて、ピエモンテ地方から来て住み着いたVaudoiseの信仰は、その頃ヨーロッパで広まりつつあったプロテスタントに近いもので、1501年に異端とされ、1530年から地元当局によって組織された弾圧は残酷なものだった。リュベロン地方のいくつかの村は破壊され、住民は虐殺され、生き残った人々はガレー船に送られたり、移住を余儀なくされた。1540年の数都市(日本でも観光地として知られるルールマラン Lourmarin を含む)の虐殺は特に記録に残るものだ

 

私のいるメネルブも宗教戦争を繰り返したれっきとした城塞都市だ。結局1598年のナントの勅令まで完全な平和は戻らなかったようで、それを知ると「ナントの勅令」、高校の「世界史」で覚えさせられることはあるとこの歳になり実感。さて写真からその実感ぶりが伝わるだろううか?

注:fb経由の写真のマンホール状の穴は作物貯蔵庫で、岩盤が1m半ぐらいの深さまできれいに丸くくり抜かれている。保存のいいのは蓋までついていた。


Machu Pichu provençal !

Publiée par Eizo Sakata sur Samedi 10 avril 2021

2021年3月25日木曜日

ドラ・マールの家

普通の絵葉書写真と反対側から見たメネルブ村
 

前回書いた私の今の仮の住居は、言うのもびっくり、住んでびっくり、南仏プロヴァンス地方の丘陵の上にあり「最も美しい村の一つ」とされている(日本語になるとこの「一つ」がなくなるようだが(笑))のメネルブ村 (Ménerbes)にある「ドラ・マール Dora Maar の家」なのだ。

メネルブは、ここに来てから日本人にメールで教えられたのだけれど、ピーター・メイルの本の舞台になった村らしくて(といっても私は読んだことがないし、フランス人の大半は知らない)、確かに英米日本人の南仏への憧れを誘いそうな場所で、「仮の我が家」の最上階(日本流の4階)の寝室からの展望は見事で、よっこらよっこら階段を登って部屋に入るたびに、日頃地下生活者の私ははっと息を飲む。

私の部屋の窓からの眺め

さて、この「お家」の名のドラ・マールとは誰か? 一言で言うと「泣く女」。1936〜43年までのピカソの愛人で、「泣く女」シリーズのモデルとして有名なのだが、ただの「愛人」ではなく、ピカソとの出会い以前にシューレアリストの写真家として活動し優れた作品を残し、ピカソのゲルニカ作成の写真レポートもしている。しかし巨星であるピカソの影になってしまい、やっと最近になって芸術的な再評価がされるようになった。(仔細はウィキでもご参考に。ドラマ的には写真付きのアートペディアのほうが理解しやすいだろう)

このドラ・マールの家はピカソが戦時中に絵と交換で得た(本当なのかなー? 「ものの本」には「戦後にメネルブに家を見に寄った」と書いてあったから盲買い?)。「多情」で愛人をインスピレーションのもとにするピカソはドラから若いフランソワーズ・ジローに乗り換え、彼女は悲嘆から情緒不安に陥り精神病院に拘禁さえされたのだが、それから回復したドラ・マールにピカソはこの家を贈った。そして彼女は一人で1997年に亡くなるまでここで一人で暮らした(といってもパリにも家があり生活の半分はパリだったはず)。またニコラ・ド・スタールが53年にメネルブ村に家を買って近所付き合いがあったらしい(でも彼は55年に地中海岸のアンティーブで自殺してしまったからごく短い間で、息子との方が付き合いが長く続いた)。

ドラ・マールの死後この家はテキサスの富豪に買われ、2006年からアーティストを迎えるレジデンスとして生まれ変わり、ひょんな事情(前回の投稿参考)から私がここにいるのである。

私がドラ・マールのことをシュールレアリスト時代の2、3の写真以上に知るようになったのは、ここにきて豪華サロンで彼女について書かれた数々の本を斜め読みしてからに過ぎないのだが、彼女は20代後半からその頃の知識人・芸術家サークルで一世を風靡しながら、30代でピカソに捨てられた後はかくたる表舞台から消え去った。ピカソには愛人関係で苦しめられたばかりか、写真は本当のアートではないと見なしていたピカソの感化で、秀でた才能を発揮していた写真をやめてしまったという、第三者的にはピカソはドラ・マールをまさに「泣く女」にしたとんでもない不幸の根源なのだが、彼女は人生最後までピカソを愛していたようで、哀れ哀れ、知れば知るほど可哀想になる。何事にも薄情なる私「エイゾウは本当の愛を知らないから」なんて揶揄されることもあるのだが(笑)、こんななら知らなくてよかったと胸を撫で下ろしす次第。

それはともかくこの歴史的な場所、といっても歴史的なドラマはここでは起こらなかった。一線を去ったドラ・マールは心の拠り所を宗教に求め、大邸宅の1階の台所と今は居間の一つとなっている2階の一室でミストラルが吹き荒れているような渺茫たる風景などを描きながら、結局はこの大きな館のごく一部しか使わず孤独で質素な生活を過ごした。とはいえこの家に50年近く居住したという事実:「歴史上の過去の人」と思っていた彼女が1997年まで生きていた、つまりどこかですれ違ったかもしれないというのは不思議な気持ちにさせられる。

「ドラ・マールの家」の今の贅沢さは亡くなった後のもの。ここで私は立派なアトリエまで賄われ、つまりドラ・マールとは比べ物にならない幸せな生活を送っているわけなのだ。そしてパリが新ロックダウンで先週末から「閉鎖」(行動の自由が10km未満)されてしまったので当分この華麗なる生活を続けるしかなくなってしまった。

私のアトリエ
 
アトリエから眺めた庭


ドラマールの風景画
 

ところでSMSで「館」での生活ぶりを披露して皆様から羨ましがられているのだが、食事はちゃんと自炊で、もう一人のレジデンス・アーティストと食卓のセッティングをエレガントにして楽しんでいるだけですので誤解のないように。

エスカレートするディナーのセッティング(笑)

 

最後にドラ・マールの強さを物語るお言葉(ただし括弧内は私の勝手な解釈による注釈で正しいかどうか知りません):
 
私の運命は、どのように(苦しく)見えても、それは素晴らしい
かつて私は「私の運命は、どのように(晴れやかに)見えても、それは苦しい」と言っていたものだが

 
参考
現代のアーティストレジデンスとしての「ドラ・マール の家」の英語サイト:

 

 

 

もっと写真が見たい方はインスタよりも私のfbをご参考に

2021年3月11日木曜日

10年経って (福島ープロヴァンス)

 10年前、ニースでの展覧会の展示の帰りにエクサン・プロヴァンスの知人宅にお邪魔、3月11日の朝、知り合いが寝ぼけ眼の私に「日本で大地震があったらしいよ」と言って出かけた(地震発生はフランス時間の6時台)。「地震はよくあるし、、、」と思いつつも、その後昼前に南リュベロンの有機農場の知り合いのところに着き、彼らはテレビニュースを見る人たちでないしランチタイムなのだが、「ちょっと気になるから」と見せてもらうことにし、スイッチを入れて現れたのはかつてみたこともない、津波が全てを飲み込んでいくヘリからの映像だった。

そして今日、同じ場所ではないが、私はまたのんびりとプロヴァンスにいる。

今朝はカフェに行って「地方新聞にはどんなことが書かれているのだろう?」と丹念に紙面を見たのだが、福島のふの字もなかった!これにはちょっと驚いた:原発の立ち並ぶローヌ河に近いだけのことはある? 

何がメインの記事だったかというと「テロリズムの犠牲者」。2004年のマドリッドのテロが3月11日で、 ヨーロッパではこの日が「犠牲者追悼の日」となり、今日はマルセイユのサンシャルル駅でセレモニーがあるとのこと。ここで2017年10月に若い二人の女性が刺されて亡くなったという事件があったからだが、私には「そんなことあったかなー?」とほぼ記憶にない。次元の違いはあれ、関係のない人には忘れられる。あとはプロヴァンスの山地に狼が戻って来たという話も見開き2面:私には見事に関係ないので眺めただけ。

ま、フランスの地方新聞ってのはこんなもんです(別に「福島10年後」のニュースを見たい人は全国紙を見れば良いのだから)*

パリで集会などを組織されている皆さんには「頭数だけの応援」もできなくて申し訳ないが、「夕方6時からの戒厳令」が引き続き、頭の調子(これは私の診断)も心臓もおかしい(これは医者の診断に行った時だけ血圧が異常に高い!)ので田舎に避難させてもらっている。

第一弾の避難先は知り合いの田舎Sさんの家だったのだが、2月末にお世話になり始めた早々、急に南仏のP君より電話があり「3月空いていないか?」との質問。「アメリカの財団のアーティスト・レジデンスが招聘作家がコロナの所為でフランスに来れないのでピンチヒッターになりえうる」というのだ。3月は延び延びになっているグループ展があるかもしれないし、医者にも行かねばならないし、折角田舎に来たばかりなのに〜なんて考えてると、P君が「こんな贅沢な話は滅多にない、俺ならすぐ行く」というわけで私も即決定。というのも今まで嘗てP君の持って来た話で悪い話はないのだ(笑)

ロワール地方のSさん宅からパリに帰り、至急「伸び伸びグループ展」用の作品を梱包して運び(「こんな時期にやるなんて気が変じゃないか?」と私だけ以前から反対している。展示は勝手にやってもらう。今のところ「歌う牛」パーフォーマンスの予定はなし)、3日後の朝にはアヴィニョン行きTGVに乗ってやって来たのは名高き「何とかさんの家」なのだが、ここが何処かはまだFBで謎かけをしているのでまた次回に。 FBでは私のドローイングよりその方が断然人気があるし(笑)

私の部屋から。今日は曇りがちなのに「お山」はよく見える
 

さて、最初の話題に戻ると、地震のないフランスで「福島」を通して原発反対を唱えるのはそれゆえに難しい面がある。しかし一方、放射性廃棄物(廃炉も含め)をまともに処理できない以上、二酸化炭素とおなじく「将来に負の遺産を残してはいけない」という論理では同じことと私は思うのだが、現実には二酸化炭素削減が原発の追い風になっているのはご承知の通り。

 

* 後記:全国版夜8時のニュースはどんな扱いだろうとわざわざ見たのだが、ずーッとコロナで待つこと27分、でも福島に関連して仏原発の補助電源に関してだった。。。

 

以下FB掲載の写真:私の部屋からの景色と私の仮の住まい。私のFBは一般公開しているので下のリンクから他の写真も見てもらえます:https://www.facebook.com/eizo.sakata

 

Vue de ma chambre !

Publiée par Eizo Sakata sur Dimanche 7 mars 2021

 

C'est là en haut où je demeure.

Publiée par Eizo Sakata sur Samedi 6 mars 2021

2021年2月5日金曜日

Covid 犬のお奉行

最近はワクチンと新型の話題ばかりだが、いずれにせよCovidの厄介なところは無症状の感染者が多く、彼らがウイルスを広げてしまうこと。「検査、追跡、隔離」と最初(春)から言われていながらなかなかフランスでは実現されていない。そもそも第一の「検査」では確実性(試験感度)にこだわって最初はPCRのみ、すぐに結果が出る抗原検査を薬局などでもしだしたのが11月。確実性が99%対89%なので擬似陰性の感染者を出すのを防ぐという理屈はわかるが、素人目には「試験しないよりいいのでは」と思え、マスクと同様、「不足」を「不必要」として隠したと疑われないではない(私には真偽わからないが)。そして昨日、鼻に綿棒みたいなのをつっこまないもっと簡単な「唾でのテスト」を学校で実施し始めることをやっと昨日決めた。
 
検査方法でなかなか話にのぼらないかったのが「犬」での検知。春の段階から犬に患者の匂いを嗅ぐ訓練を実施したら極めて高い検知力があったとニュースで聞いていたのだが、駅や商店街など人がたむろするところで犬で無症状患者を探すのは名案だと思いません? まあお犬様の采配で「隔離」されるのには抵抗があるだろうから、容疑のかかった人にはpcr試験義務を負わせればいいというのが私がお上に進言したい方策。しかしこの誰でも考えそうなことが一向に実施されようという気配はないので、犬奉行には大支障でもあったのかとググってみたところ、5月に「患者の体臭を検知する犬」を訓練しているの新聞記事とビデオがあり、秋以降はこの訓練実験をしたパリ近郊の有名獣医学校の教授が政府の対応に文句を言っている記事が複数あった。
 
例えば以下にlclの記事の一部を自動翻訳(DeepL)ベースで紹介すると:

フランスでは1日に数千人が感染しているCovid-19を検出するために、いくつかのツールが利用可能です:PCR検査、血清学的検査、最近では抗原性検査です。あまり知られていないが、それにもかかわらず有望な他の方法も開発されている。特筆すべきは、スニファー犬の場合です。3月からは、アルフォートにある国立獣医学校のドミニク・グランジャン教授が、犬の嗅覚を使ったコロナウイルスの検出方法を教える活動を行っています。すでに世界の多くの国に興味を持っている非常に信頼性の高い方法ですがフランスでは関心を持たれていません。
 
ドミニク・グランジャンは、この関心の低さを、健康危機が始まって以来、「人間だけが人間の世話をするかのように獣医界は遠ざけられている」という事実によって説明しています。彼にとって医療の世界は、ますます洗練されたツールを信頼し、シンプルな装置でも同じように、あるいはそれ以上にうまく機能することがあることを忘れがちです。「おそらく単純すぎて、意思決定者の目に留まるほど高価ではないのでしょう」と彼は言う。彼が主導した研究は、数日後に科学雑誌「Plos-One」に掲載される予定で、彼の研究のマトモさに対する政治界の意識が変わることを期待している。同氏によると、4~7週間のトレーニングを経て、犬は93%のケースで陽性を検出し、96%のケースでは偽陽性を避けることができるようになったという。
 
ははー、先生がかなり怒っているのがわかりますねー。
というわけで私がマクロン君に進言する必要はなさそうです。

ヘルシンキ空港には検知犬がいるそうで、フランスでも下の1/30日付ボルドーが県庁のジロンド県地方版ニュースに見られるように地方から波及するのかもしれません。
 

 
ところで第二の関門「追跡」はというと人口の1/5ぐらいのダウンロードはあるみたいだけど、本当に動作させている人はずっと少ないらしい。私はというと、ほぼわかっていたことだけど、我がご老体 i-phone にはできなかった。これで自由+個人情報がどうのという前にドロップアウト。ホッとした〜(笑)

第三の関門の「隔離」は人権の国フランスでは如何にせん?自主隔離以外どんな施策があるのか全く知りません

画廊に行こう!

はや2月、 

年末年始は雪山をハイキングし元気になってパリに戻ってきたのだが、新たなロックダウンに脅かされる毎日 * で1ヶ月は瞬く間、もう息が切れかかっている。かつ夜間外出禁止が6時からになって以来の1日の早さと言ったら、、、。

Sabine Weiss の写真
うかうかしているうちに色々な美術展を10月末のロックダウン前に見逃してしまった教訓から、先日古き良き時代の写真家Sabine Weiss(サビーヌ・ヴァイス1924生)の小さな画廊での展覧会に出かけたら、入場者数制限で会場建物外に待つ人がいるばかりか、2階の会場に行く階段は各段ごとに人が行列、つまり待っている間は全然「距離」はなく、展示スペース内は超余裕という、チグハグなコロナ対策を象徴するような具合だったが、こんなことに目くじら立てていたら今のフランスでは暮らしていられない(笑)
 

ところで美術館が開いていないので、一般の人が画廊に足を向けるという新風潮が見られるようだ。だが満員で画廊の前に列ができるのは新聞雑誌でも紹介されるデヴィッド・ホックニーやSabine Weissという有名どころだけではないかな? 一方画廊の固定客である蒐集家は年齢層が高いand/or田舎に避難しているので彼らの足は遠のき、ビジネス的には?? だが一方では本物見なくても写真で購入するコレクターもいるそうなので私にはますます??? 何にせよこの機会に多くの人が画廊に親しみを持ってもらえれば何よりだし、美術館で見る「頂点」のアーティストのぐーっと下にも色々作家がいて、時には「有名アーティストではなく無名アーティストのほうが面白かったりするなー」という自分の意見を持ってもらえればと思うのだが、それは多分望みすぎでしょう。

 

参考 :見に行ったLa Douche画廊の写真満載のSabine Weissのページ

推薦:スイスの情報ページ上の「写真はアートではなく職人技」という記事では日本語でサビーヌ・ヴァイスさんの幸せな人生が紹介されています

* 注:今のところ避けられている