2015年1月13日火曜日

流れるべきはインク

流れるべきは血ではなくインク
   Revenant de la manifestation historique que j’avais loupé, j’ai regardé la télé. Même si c’est émouvant de voir autant de gens descendus dans les rues, il y a deux choses qui me laisse complètement perplexe.
  Primo :  comment peut-on chanter la parole sanglante de La Marseillaise dans la pareille circonstance après les mares de sang ? 
  Secondo : pourquoi les victimes sont des héros?  Selon moi, surtout dans le cas des quatre victimes dans le Hyper Cacher, c'étaient la mort absurde. C’est justement ça qui me rend en colère contre les terroristes.

  Note : Désolé, comme d'habitude, ce n'est qu'un bref résumé de mon texte japonais. Pour savoir plus, il vous suffirait de m'inviter au dîner ☺

日曜日にヴォルテール広場近くで立ちん坊でずーっと待たされたことは報告したが、後でメディアを見てわかったことには本当に「海外のお客様たち」が間近におられた。あのビデオの左奥の方に11区の区役所があり、そこで全員1分間の黙祷をしたとのこと。知らなかった、、、。それを早く言ってくれれば避けたのに。

実際あの界隈では大勢の人が何処へ行けば良いかと通りを右往左往していて、それだけで疲れてしまった人も少なくなかったはずだが、そういう馬鹿げた光景は絶対にテレビでは(当たり前と言えば当たり前だが)報道されない。報道トップは当然「海外のお客様たち」だが、知らぬ間に「言論の自由」を守る為とは思えぬメンバーになっていて、、、。

それ以外にもその晩のテレビニュースを見て思う違和感があった。これは私が日本人だからだろうが、先ず犠牲者をともらう集会で人々が「マルセイエーズ」を歌い出すこと。5分間の殺戮で地の池に沈んだ記者達を考えながらあの血なまぐさい歌詞*が歌えるのが私には不思議中の不思議。歴史的な物だから「意味されるもの」のないただの「音」となっているのだろうか? この歌詞は時々は問題になるのだが、人々がこういう状況でも自発的に歌い出せ、それが感動的なこととされることへの驚き。

それから「犠牲者」が「ヒーロー」とされること。殺されたジャーナリストは多少の「因縁」があるだろうがそれでも、警官は職務で偶然、買い物のユダヤ人4名はただ居合わせただけだから特に、私はこれらの死は「犬死」だと思う。そして私は彼らが「犬死」をしたからこそテロへの怒りが込み上がるのだ。

(「ヒーロー」には賞賛するしかない。すごく考えて好意的に解釈すると、この惨事により「世界」が変わり、それで彼らが「ヒーロー」になるということだろうか?)

以上の二つの私見、良きフランス国民や犠牲者の家族には「ショック」を与えるものかもしれない。でも私はここで「自分の持つ違和感」を節度を持って書いている。そしてこういうことが可能なのは「言論の自由」があるからであり、その方が「国歌を歌わないから」ととやかく言われる社会よりよっぽど暮らしやすい社会だと思う。

(ただしフランスでも数年前アラブ人系のサッカー代表選手たちがマルセイエーズを歌わないと批判があった。「我々グラディエーターじゃありませんから」と反論する選手は残念ながらいなかった)

*注:有名なリフレインのところだけでも:
「武器を取れ 市民らよ 隊列を組め 進もう 進もう! 汚れた血が我らの畑の畝を満たすまで!」


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